景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

「馴れ合いは悪。殺伐が正義」と言い出す奴はバカである

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今日はキャンプファイヤーだぜ。キミも薪をくべてくれたまえ。

 そしてキミも火を囲んで歌うのだ。「このバカどもめ!」と互いを罵りながら。俺も楽しい。キミも楽しい。でもそれって、やっぱりバカなんじゃ無いの?

 と、そんな「燃やそう。燃やしまくろう」という魂胆が透けて見えるタイトルではあるのだが、俺が常日頃考えることであるから、そろそろ書いておいても良いだろう。

 今回考えるのは馴れ合いの是非であり、殺伐の是非である。

 

 ちなみに俺の立場を明確にしておくと「馴れ合いは場合によっては是」であり、「殺伐は限定的には是だが、大部分では悪である」という立場にある。

 それでは、何故俺がそんな考え方をしているのか具体的に説明していこうではないか。おっとキミ、その松明は一度床に放りたまえよ。キャンプファイヤーは終わりだ。

 よーし、いいかね。それでは始めよう。

 

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ブログの持つジレンマに苦しむのはバカなのか?

 どうも。俺だ。景虎だ。
 人生にはままならない物が沢山ある。特にブログに関していえば、俺は今ままならぬ状況に陥っていると言わざるを得ない。
 ままならぬ物をままならせようと普通の人はするのだろうが、キミもご存じの通り、俺は相当なポンコツであるからして、俺にはそのままならぬものをままならせぬまま、何とか生活だけはしていけるようにしていかなくてはいけないと、七転八起もんどりうっているわけである。
 姿勢制御すらままならない、旧世代のOSがインストールされたポンコツアンドロイドに似ているかもしれない。ともかく俺は今立っているのがやっとで、自らのポンコツ性に関して、美意識や職人気質など持ちようが無い。

 倒れるか、立っていられるかのどっちかなのである。

 そう、いわば、ままならないものばかりで俺の生活はギリギリなりたっているということだ。

  だが……そう。

 そんなままならない物に対して意識が全く向かないかと言うとこれは話が別になる。

 俺は俺が出来ていない物に関して相当気が向かう方だ。

 出来ていない。そんな自分を情けなく思い四六時中責め続けながら、誰がどうと決めたわけでも無い使命感を抱き、タイプしていく。
 このクソ野郎が、早くくたばれ、情けない俺を殺して俺は一流の男になるのだと鼻水をジュルジュルすすりながら、やたらと真っ赤になっている目をモニターに向けているわけである。
 この原稿さえ終れば、俺は自由に――ならないが、少なくとも一巡回ったらもう一度サイコロが振れそうだ。上がりは無いが、先に進むことが出来る。この情けない物を引きずりながらも、一歩先に進める……だから気にしてはいけない。先に進むのだ。
 俺は自分にそう言い聞かせつつも、やっぱり気になる。

 俺はどう思われているのかと。

 そう、このブログ記事を書き始めたのはそれが大きな原因というわけなのである。

ブログの持つジレンマに苦しむのはバカなのか?

http://www.flickr.com/photos/96913861@N04/14045819341

photo by manoftaste.de

 まずブログの持つジレンマについて語っておかなければ、話は全くわからないだろう。 このジレンマとは、「本業とブログの二者がそれぞれ主体客体の関係性に成り立っている」という前提の上で引き起こるもので、要するに「ブログばっかり書い ていなければ進捗が進むのでは?」という身も蓋もないジレンマのことを言う。

 これがどうジレンマかというと、実際問題ブログを書くと本業が進む質なのである、少なくとも俺は!

 そう、ブログを実際に書いたことがあるキミは、こんな記事を書くのにかかる時間が十分程度の話だという事を良く知っていることだろう。そして、実際に文章を常日頃書いている人からしてみれば、これはエンジンをふかすのには良い作業だという認識も少なからずあるだろう。


 だがしかし、俺は気になってしまう訳である。

  実際に本業にしようと思って進めている計画が、ニッチもサッチもタッチもグッチも行かないでいるのは、実際問題俺自身の不養生と、飯を食うために行ってい る仕事が上手く行っていないからなのだが、この状況でブログを何の気なしに書き続けていると、人によっては、「なーんだ。コイツ進捗は進まないくせにブロ グは書けるんだな」と思われそうではないか?

 いや、考えすぎなのか? どうなんだいキミ?

 俺の考えすぎなんだ。わかってるさそれは。でもどうなんだねキミ!

 答えてくれ! お願いだから!

誰もお前のことなんか気にしてないよ

http://www.flickr.com/photos/23300119@N03/2890706354

photo by Maria Reyes-McDavis

 勿論俺だってその問題の答えくらいはっきりわかっている。

 ここにいて、これを読んでいるキミも、俺自身にはこれっぽっちも興味が無く、ただちょっとした気まぐれでここにたどり着き、この記事を読み始めているのだという事を。
 キミは俺に興味が無い。

 俺が何をしていようと、何も思うことは無い。

 人生において俺なんかのために意識を割くという愚を犯している人物などはいようはずもない。いないね。いいね。
  むしろ、そんな「あーコイツ進捗はー」などと思う人がいると考えること自体が思い上がりもいいほどで、言うなれば、自己評価が高すぎる、自意識が高すぎる、情けない坊やであるということで結論付きそうな気もするのだが、それでもやっぱり俺は気になるのである。気になって仕方が無いのである。

 キミはそこで何を考えているのか?

 気になって気になって仕方が無い。

 Twitterで呟きすぎていないだろうか俺は?

 俺はどんな風に思われているのか?

 そもそもなんとも思われていないのか?

 気になる気になる気になる!

 がしかし、それをいくら気にしたって仕方が無いことくらい百も承知なのである。

 めんどくさい男だと思っただろうか?

 実のところ俺自身も、この俺様のめんどくささに関しては最近少々もてあまし気味なのである。
 どうにかしてしまいたい。この自意識という奴を……。

実際にブログに時間なんてほとんどかからない

http://www.flickr.com/photos/28145073@N08/4178265189

photo by Moyan_Brenn

 さて、これを書くまでにかかった時間は丁度十一分四五秒だ。

 ストップウォッチで計りながら書いたのだから間違いない。

 この程度のテキストであれば、ほぼほぼ短い時間でやたらと面倒くさい文章をぼこぼこ書いてしまえるという訳である。
 勿論、画像や構成を考え始めると二〇分や三〇分かかってしまうこともある。

 しかしそれもたかだか三〇分の話である。

 熱を変な方向に入れずに、思うがままに書けば、一瞬のうちに仕上がるというわけである。

 俺の進捗に全くと言って良いほど影響を及ぼしていない。
 安心してくれ。いや、安心したがっているのは俺だけか。

 なぜ、俺はこんなどうでも良いことが気になるのだろうか?
 それを俺は今日も頭のすみっこに抱えながら、書き続けていく。

 実際問題、書かなくてもいい物をそれこそ熱心に。

「べ、べつにアンタなんかに興味なんだからね!」というキミの答えを受取るためだけに、こんな回りくどい文章を書けるのは、世界を探してもおそらく……。

 では、失敬。

ライトノベルの俺なりの定義を教えてやる!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今回の記事はライトノベルというものの定義を考えていく記事となるわけだが、その発端は勿論、コヲロコヲロの作者である永元千尋がライトノベルというジャンルについて色々と考えている記事を読んでのことである。そう、よからぬ思考に火が付いた訳である。

 聴衆よ聞け! キミよそこに座れ! 今日は俺がお前にラノベの定義を教える!

 俺が俺なりに考えた最強のライトノベルの定義!

 それを今日は、三つほど提案してみようじゃ無いか!

libertyworks.hatenablog.com

 大人しく聞いて反論してみるが良い。

 多分穴だらけの定義だけどね。

 

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映画「屍者の帝国」を見て俺が考えずにはいられなかったこと。

 小説家というものを実装するためには、おおよそ三つの要素が必要となる。

 それは、「理解」「再構成」「出力」である。

 

 理解とは即ち想像力のことを意味する。

 我々は、何かを完全に理解したと思い込む節があるが、キミと俺とを直接脳を繋いだとしてもこれっぽっちも「理解」することは出来ないように、それぞれが独立した自我を持つものには絶望的なまでの隔たりがある。

 心震え、平生なる精神状態でいられないほどに感動した作品であったとしても、それは当人が鼻をほじりながら作ったものかもしれないし、ほんの暇つぶしに作ったものかもしれない。

 またそれを読んだ人が思った気持ちとは全く別の気持ちで書いたかもしれないし、別のテーマを伝えたったのかもしれない。

 作品にどれだけ深刻かつ深淵なテーマが込められていようと、彼にとってそれはただの悪趣味な娯楽であったのかもしれない。

 

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戦う大人になりたいと思い続けて。

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photo by Mario Inoportuno

 彼女が言っていた言葉はいつだって俺の頭を内側から叩きつけてくる。あの日あの時の文芸部の部室でキミは言った。「どうしてそんなに怖がってるのか」と。怖がっている訳じゃない。現実を見ていただけだと当時の俺は思っていたのだった。夢見がちな少年少女という奴は実のところ期間限定のキャンペーンに過ぎず、大人になろうとしていた俺には、そんなものは不要なはずだったのだ。

 
 しかし、不要なはずのその期間限定キャンペーン応募ハガキは、二十歳になった良い大人の俺のポケットの中に未だ入ったままだった。実に情けない。もっと早く応募するべきだったのに、俺はこれまでどうしてきたのだろう。
 
 キャンペーンに申し込むだけなら命一つで済むだけなのに、俺はやっぱり怖がっていたのだった。夢なんて見すぎて、現実に愛想を尽かされたらどうなるのだろうと、俺は毎日毎日恐れていたのだった。そんなに自分が大事だろうか。それは確かに大事には違いない。だが、それと引き換えにしていいほど、俺の抱えてきた物語は安っちいものなのだろうか。そんな安っぽいソープドラマのようなものを後生大事に抱えて俺は死ぬのか?
 俺はごめんだね。そう、二十年もかかって俺はようやくそれが言えるようになったのだった。やっぱり「戦う大人になりたい」と。
 

ネットで知り合った人は友達に値するか否か?

http://www.flickr.com/photos/63669472@N00/2235294862

photo by eekim

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今日は長々と文章を垂れ流すのをやめて、一つの問題提議をおおよそ3000字位で書いてみる予定でいる。これを読んでいるキミがもし、「やたらと長い文章を読んでいないと精神が不安定になる類の病」に侵されているのだとしたら、これを読むことはオススメしないが、もしそうでないのだとしたらしばし付き合ってほしい。

 おそらくキミは、俺のように生身の人間と話したことがあまりない社会不適合者ではないとは思うけれど……。

 

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キミのコンテンツをSNSで拡散するのにベストな時間と方法を教えてやる!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミ自身が何故コンテンツを作り、言葉を発し、表現し、主張しているのか俺には想像するしかないが、おそらくキミも自分自身が一生懸命作り上げたコンテンツをもっとたくさんの人に読んでもらいたいと考えているのだろう。

 少なくとも俺はそうだ。多くの人に読まれたい。

 俺は、言葉の力を信じているし、それによって世界を大きく変えられることも知っている。だがしかし、その言葉というものは伝えるまでが非常に難しいという事も痛いほどわかっている。SNSでいくら一生懸命叫んだところで拡散どころか撹拌されるばかりで、誰も俺の言葉を聞こうともしない。

 「俺の歌を聴けー!」と叫んでみたところで、「今更マクロス」とか酷いことを言われるだけである。マクロスは永遠に素晴らしい作品であることは自明であるのにもかかわらず酷い言いようである。

 

 キミはキミの作品を人に読まれたい。そして、俺も俺の書いたものを人に読まれたい。

 

 そこで、今回は「SNSでコンテンツを拡散するのにベストな時間」についてのアンケートをなるべく公平に取ってみたわけである……。

 

 

 まぁキミ。疑いの目を向けたくなる気持ちはわかるよ。

 勿論、俺も公平性に関しては若干怪しんでいる。

 

 

 実際のところ、アンケート数が少なすぎたり、アンケートの途中経過を公開していたりと、なかなかツッコミどころの多いものだけれど、それでも話半分に試してみると意外な成果が上げられるかもしれない。たぶんね。

 少なくとも、三千円かけたアンケートなのだから三千円分の信ぴょう性がどこかにあるに違いない。と、俺は信じたい。キミもじっとりした目を向けるのをやめて、早いところ信じる心づもりを固めてくれたまえ。時は金なりだよ。

 是非、キミもこの結果を見てそんな三千円分の信ぴょう性を、この結果の中に見出してみてほしい。難しいかもしれないけれど、キミならできると俺は信じている。

 そして、キミを信じる俺を信じろ。

 それではいってみよう。

 

 

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キミの学び方が決定的に間違っているたった一つの理由

今週のお題「いま学んでみたいこと」

 どうも。俺だ。景虎だ。

 どうやらはてなブログという物は「今週のお題」という機能が付いているらしく、どうにも興味をひかれるお題があったので、今日はそれで書いてみたいと考えている。ただ、俺自身「学んでみたい」と感じたらすぐに学び始める質の人間であるから、それで、書くのは適切だとはいえないだろう。

 そこで今回は、具体的にすぐに学び始めるにはどうすればいいのかについて書いていこうと思う。

 それはズバリ「キミの学び方が決定的に間違っているたった一つの理由」についてである。

  もしかすると、キミはダ・ヴィンチのような完全無欠の完璧超人で、挫折も学ぶのに苦労したこと無いのかもしれないが、もし、そうでないならば、是非最後まで付き合って欲しい。学べど学べど全く上達していかないと感じているキミもそうである。是非、最後まで付き合ってもらいたい。

 そう、学び続ける為のとっておきの秘訣をキミだけに教えてあげよう。

 

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ブログを初めて一ヶ月の話

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今日でキミが俺と出会ってから一ヶ月が経過したことになる。

 まどろっこしい表現を抜きにして言うと、つまりはこのブログが開設されてから一ヶ月が過ぎたという訳だ。

 

 京極夏彦の姑獲鳥の夏が文庫版で約600ページ。

 人生50年と考えるとこれも丁度600ヶ月だ。

 そう考えると、俺は315ページ目でようやく読者の前へと登場し、約1ページをこのはてなブログに費やしたということになるのだろう。

 そしてこれから恐らく285ページに渡る波乱万丈の物語の中を、キミとともに縦横無尽に駆け巡っていくことになるというわけだ。

 勿論これは途中で打ち切りになるかもしれないし、逆に重版がかかって続編が出るかもしれない。

 そして、それはきっとキミと俺との活躍次第で変わるのだろう。責任重大た。

 はたして、キミには十分な覚悟があるのだろうか?

 

 なに!? もう飽きたって!?

 待ちたまえよ。あと、十ページほど読めばきっと何かしらの伏線が何かしらの展開にぶち当たって何かしらの何かしらが起こるんだからさ!

 推理パートもまだな訳だから、もうしばらく辛抱していただきたい。まだ、伏線を張った程度なのだから。そう、今後の展開に備えて、伏線を確認していくべきなのだ。

 

 という訳だ。

 改めて、これまでの1ページを振り返ってみよう。おそらくキミは既にうんざりしているかもしれないが、俺はまだまだやる気がある。

 だから、出来れば一行だけ一緒に付き合っていって欲しい。

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もしも紙の本が世界から消えたなら

 どうも。俺だ。景虎だ。

「なんだか猫が消えてなくなってしまいそうな表題だな」とキミは思ったかもしれないが、今日消してみるのは猫ではなく紙の本である。

 もしもキミが「紙の本よりやっぱり猫を消そうよ」と思うのであれば、「世界から猫が消えたなら」を読んで思いとどまってもらいたいところだ。

 

世界から猫が消えたなら

世界から猫が消えたなら

 

 さて、猫は箱の中にしまっておくとして、今日お話するのは、「もしも世界中から紙の本が消えてしまったらどうなるのか」という空想の話である。

 何故そんな空想のお話をするのかというと、前回お話した『「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない』の記事で、キミが誤解していないか少しだけ心配になったからである。

 そう、あの記事を読んで電子書籍を利用し始めた挙句「電子書籍があれば紙の本なんていらないや」だなんてキミには思ってほしくない。あくまでどちらもあるべきだという話をしたつもりなのだが、もしもキミがあの記事に触発されて、電子書籍だけに傾いていくのだとしたら、俺は――。

 だからこそ、今日は「何故、電子書籍を持っていても紙の本を処分するべきでないか」の話をしようと思う。

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「9月1日の図書館」に行く前にキミが気づくべき事

 どうも。俺だ。景虎だ。

 「9月1日の図書館」の話は情報通のキミなら当然知っているとは思うが、もし知らないのであれば下の記事を見てもらえれば大体事情はわかるかと思う。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 そしてその発端となったのがこのツイートである。

 

 

 「学校行きたくなかったら図書館行けよ」のこのツイートは俺とっても、ものすごく感慨深いものがあったし、内容自体にも、俺はおおむね同意している。

 しかし、もしも、キミがこのツイートを見て、辛くて図書館に行こうと本当に考えているのだとしたら、その前に言っておかなくではならないことがある。

  なぜなら、キミはずっと図書館に引きこもっているわけにもいかないし、いつかは現実に引き戻されるからだ。辛い辛いと逃げようとしても、向こうから追いかけてくるわけである。お節介も良いところだが、きっと逃げ切れやしない。

 いつかは捕まって、やっかいな現実の中に押し込められてしまうわけである。

 だから、こそ、そんな辛いと感じるキミには、言っておかなければならない。

 そう、大体三つほど。

 

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「Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話」という本の話

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今日お話しするのはあの箱を被った男の話である。

 勿論それは、安部公房の箱男の話ではない。

箱男 (新潮文庫)

箱男 (新潮文庫)

 

  Kindle本絶対売る売るマシーンとして日本のKindle界隈で知らない人を見つける方が難しいというあの人のことである。

 そう、きんどるどうでしょうのきんどうさんのことである。

 今回はそんな彼が出した本「Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話」について具体的に以下のような内容について書いていくつもりだ。

 

  • ダメな本だと思ったキミへ
  • マネできるところ出来ないところ
  • 情熱と悪知恵について
  • 誤解しない方が良いところ
  • キンドル作家のキミが読むべき本

 


 つまり、今回も相当長くなるという話だ。
 また、良いことばかり書いているわけではないから、話半分に読むのが良いだろうと俺はキミには前もって助言しておきたい。

 

Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話

Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話

 

 

内容紹介

「売らねば死ぬ、Kindle本のアフィを生活の糧になんとか1000日。日本で恐らく唯一、電子書籍の実売だけで食っている個人が電子書籍担当者のために書いたメディアづくりの実践本」
 
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「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない

 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミはひょっとして「僕は紙派だから電子書籍はいいや」なんて思ってはいないだろうか? 「だって紙の方が好きだし」だの「ページをめくるのが好きだから」などとを言い続けてはいやしないだろうか?

 もしも、そう思い、そう発言しているのならば、俺はキミに言ってやりたい「キミはなんにもわかっていない」と。

今回のお話は、そんな電子書籍に対する誤解を解くために、二十一年もの間本を狂ったように読み続けている俺が、具体的に電子書籍というものが「本当はどういうものなのか」について語る、そんなお話である。

 

まずはキミに謝りたい。キミのせいではないと。

 さて、「何もわかってない」などと初対面のキミをなじってしまったが、結論から言うとそれはキミ自身の責任では無い。何故ならキミはバカではないからだ。むしろ、とてつもなく賢い。そしてキミ自身が本をこよなく愛していることも勿論俺は知っている。

 では、何故、そんな賢いはずのキミが「紙の本が~」などと誤解したままでいるのかというと話は簡単だ。

 キミもうすうす気づいているかも知れないが、この電子書籍と紙書籍との間にはある種のイデオロギーの問題が発生しているのだ。ああ、キミ、顔色が変わったね。気づいたんだね。そうだ。

 誰によって?

 おそらく出版社とAmazonとによってである。

 

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俺はサインコサインタンジェントを知らない。

http://www.flickr.com/photos/37407580@N02/6175196279

photo by Wanda Dechant

 俺は知らない。サインコサインタンジェントを知らないでいると、具体的にどう困るのかを知らない。サインもコサインもタンジェントもそれが一体なんだったのか、これっぽっちも覚えていない。

 

 俺は知らない。社会を知らないでいると、具体的にどう困るのかを知らない。社会というものが一体俺に何をしてくれたのか、これっぽっちも覚えていない。

 

 俺は知らない。キミの知っているであろうことを知らない。キミが役に立ったといっていたものが、俺にとってもそうであったのか、これっぽっちも覚えていない。

 

 原始人は言うだろう。「そのスマホってやつ、具体的に何の役に立つの?」と。

 ガラケーの人もそう言うだろう。キミがガラケーなら同じことを思っているはずだと信じたいがあいにくキミのことはこれっぽっちも知らない。

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ペンネームと本名について本気で考えてみた。

 どうも。俺だ。景虎だ。

 タイトルがなんだかポルノグラフィティのあの曲っぽくて、キミはおそらく「ああ、その世代の人間か」と勘付いてしまったかもしれないが、それに関してはこの際触れなくていい。

 触れてほしいのはそう、ずばり俺のペンネームのことである。

 天王子 景虎である。さすがに本棚に並んでいた作家の名前から取るという、「あれれおかいいぞ~」が口癖の名探偵方式で名付けただけあって相当ダサい。

 俺自身はこのダサさを好きでも嫌いでもないのだが、今日先輩に飲み会に誘われた際に、「その作家の名前から取るなら天王丸 景虎の方がいいんじゃないか?」などと言われてしまい、それを未だに引きずっているという訳である。

 「正直名前なんてものより、その人が為す行動の方が重要だ」と俺も常々思っている。本当にその通りだと思うし、こんなことでぐずぐずするくらいなら、何かを為した方がまだ有益だろうと俺も思う。

 

 しかし、それでもなんでかどうしてもぐずぐずしてしまうのは、やはり俺の本名と、それにまつわる逸話が原因なのだろう……。

 

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