ブログを初めて一ヶ月の話
どうも。俺だ。景虎だ。
今日でキミが俺と出会ってから一ヶ月が経過したことになる。
まどろっこしい表現を抜きにして言うと、つまりはこのブログが開設されてから一ヶ月が過ぎたという訳だ。
京極夏彦の姑獲鳥の夏が文庫版で約600ページ。
人生50年と考えるとこれも丁度600ヶ月だ。
そう考えると、俺は315ページ目でようやく読者の前へと登場し、約1ページをこのはてなブログに費やしたということになるのだろう。
そしてこれから恐らく285ページに渡る波乱万丈の物語の中を、キミとともに縦横無尽に駆け巡っていくことになるというわけだ。
勿論これは途中で打ち切りになるかもしれないし、逆に重版がかかって続編が出るかもしれない。
そして、それはきっとキミと俺との活躍次第で変わるのだろう。責任重大た。
はたして、キミには十分な覚悟があるのだろうか?
なに!? もう飽きたって!?
待ちたまえよ。あと、十ページほど読めばきっと何かしらの伏線が何かしらの展開にぶち当たって何かしらの何かしらが起こるんだからさ!
推理パートもまだな訳だから、もうしばらく辛抱していただきたい。まだ、伏線を張った程度なのだから。そう、今後の展開に備えて、伏線を確認していくべきなのだ。
という訳だ。
改めて、これまでの1ページを振り返ってみよう。おそらくキミは既にうんざりしているかもしれないが、俺はまだまだやる気がある。
だから、出来れば一行だけ一緒に付き合っていって欲しい。
彼が動き出した理由
過去の記事でなんだかんだとまどろっこしい理屈を並べ立ててはいるが「何故はてななのか?」「FC2やLivedoorじゃなくてなぜはてなブログにしたのか?」については触れていなかったように思う。
これに関しては物凄く単純な話で、俺の尊敬してやまない作家がはてなブログを使っていたからである。
1ページ目の冒頭では語られていないものの、むしろこれが俺にとってのアルファでありオメガなのだった。そして、今後も届きそうにないと知りながらも、彼の足跡をたどりながら、俺とキミの無謀な物語は進んでいくのだろう。
キャラクター性が示される
俺はこのブログを始めるにあたってどうしていくのかをずっと悩んでいた。それは主にキャラクター性の問題である。俺は少なくとも生まれてから26年に渡り、抜け目のある男、尊大な適当と呼ばれてきた。
だがしかし、それで走りだしていいものなのか甚だ疑問だったのである。
(抜け目その一)
(抜け目その二)
しかし、キャラクターというモノが登場人物によって決められるものではなく、著者によって決められるものであることはキミ自身も十分承知しているはずだ。キミが賢い人間であることは作者によって決められたことであり、望んでそう生まれた訳ではない。
キミが天才として生まれながら、沢山の人を救えず、己の無力さに打ちひしがれているとしたら、それはきっと作者の都合である。恐らくキミはそれを乗り越え、一皮むけた人間として、新たな危機に直面していくことになるだろうから、次の問題の心配をした方が良い。
勿論、俺自身も「謙虚なイケメン」「優しくていい匂いのする男」に生まれてきたかったものだが、この設定で作者が書き始めてしまったのだから、甘んじて尊大なる適当でありつづけよう。
そして、これを読んでいるキミ自身も、賢さを持て余さずに、甘んじて受け入れるべきだと、俺は助言してやる。
ありがたく受け止めておくと、俺の頭に投げ返せるからキミの気分も晴れるだろう。
中盤で登場人物の名前が変わる
これを書いている作者というものは相当ふざけていると俺は思う。
何故、俺のキャラ名を途中で変える展開にしたのか? これは何かの伏線なのか? それとも、キミがあの時死に際に言っていた「名前を変えたほうがいい……奴は名前をノートに書くとアイツはグハッ……」という一言と何か関係があるのかね?
教えてほしい。具体的にそれは何ノートなのかね?
ゲスノート?
ああ、安心した。
ゲスの王道をナメクジのように這っている俺からすれば、それは脅威に値しない。もしも、Guessノートだったとしても、俺の名前が変わった理由がどうにか分かる程度だろうし、望むところである。
結果として俺のはてな編1ページ目は予想を遥かに超えていた
俺は少なくとも、1ページ、つまりは一ヶ月のあいだの登場人物は500人程度だと踏んでいた。キミも恐らくそう考えていたことだろう。俺のブログを好き好んで読む登場人物はそれほど多くない。そしてそれはほぼほぼ予想通りに進んでいた。
しかしそれは8/29に登場した人物の存在によって大きく裏切られる形となった訳だ。そう、一文字も消費しないうちに俺は2万人以上の登場人物に完全に包囲されてしまっていたわけである。
315頁の最終行「そして彼は勝利の雄叫びを上げた」の直後である。
完全に敗北である。わかってないのは俺の方だったのである。
さらにスマートニュースの直撃を受け、俺が一時間程度で書いた記事が「Googleニュース」にも掲載されることになる。俺は心底恐ろしくなり、ベットの中で布団を頭から被り「これは夢なんだ。夢から覚めたら僕はまだはてなブログを始めたばっかりで」とぼそぼそ言いながら眠った。
更に、はてなトップの注目のブログに表示され気分は「ねーねーみんなー景虎くんが変なの書いてる! 変なの書いてるよ!」とクラスで日記帳を回し読みされたあの時と大体同じ具合である。
複雑な心境である。
そう。注目するのであれば、もう少し経験値を積んでドラゴンが一人で倒せるようになってからにして欲しかったと正直俺は思ってもいる。
スライム一匹倒して経験値が1程度上がったところで村人に取り囲まれ、「世界は平和になった! 勇者のおかげである!」とやられてしまったような何だかとてつもなく変な気分である。
世界は平和になったのだろうか?
まだ魔王がいるはずなのだけれど。
きんどうさん「イヤーッ!」
— 天王丸景虎🐯@メタバース虎人間 (@10kgtr) 2015年9月1日
俺「グワーッ!」
ろすさん「イヤーッ!」
俺「グワーッ!」
けいろーさん「イヤーッ!」
俺「グワーッ!」
スマートニュースさん「イヤーッ!」
俺「ヤ!ラ!レ!タ-ッ!」
言及されたブログとツイート
(どうやらけいろー氏は俺と同年代らしい。なぜこんなに良記事が毎日書けるのか?)
(Kindle本紹介サイト大手のきんどう師匠である。40万PVで多くないのか……)
(ころがるくんだ。確かに神学書は盲点だった。あんまり需要がない本もガンガン出せるというメリットはもう少し言及しても良いのかもしれない)
読んだ。良い文章だな。読者との距離の測り方が素晴らしい。 / “「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない - 景虎日記” http://t.co/i32OcflKuC
— ろす (@lost_and_found) 2015年8月30日
(ろす先生だ。そんなに褒められると恥ずかしくて何も言い返せなくなる。俺はでんでんコンバータ以上に素晴らしい物を知らない)
[https://twitter.com/tomta13/status/638290320581509120:embed#わかる。どっちかに限定する必要はないんだよね。 / “「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない - 景虎日記” (208 users) http://htn.to/F4go4s
(ともたさん。わかってもらえて何よりだ。そして、この記事を貶しても褒めても「やっぱりキミは本が好きだったんだね」と俺に抱きつかれる構造になっているということにも今気づいたことだろう)
[https://twitter.com/filmloader/status/638184032585388032:embed#面白いけど製造原価のあたりとかツッコミ受けそう。後、リーダーの価格については本をお小遣いで買う年齢層の視点が欲しいかなー / 「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない - 景虎日記 http://www.10kgtr.net/entry/2015/08/30/%E3%80%8C%E7%B4%99%E6%B4%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%
(kenjiさん。製造原価に関しては犬吠氏から既にツッコまれていたり……ランサーズ調べで二万円位だったから書いたのだが、全くの嘘っぱちだったのかもしれない。そしてリーダーの価格はもう少し色々考えるべきだった。ママにキンドルをおねだりする方法の記事を書かなくてはいけなさそうだ。)
[https://twitter.com/WestSixJizo/status/637781912434556928:embed#電子書籍は現状「アクセス権」の売買でしかないことが綺麗さっぱり落ちてませんか? / “「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない - 景虎日記” http://htn.to/icKbmK
(西六地蔵図書館基盤研究所さん。DRMに関してはやはり言及するべきだった。すまぬ。言い訳じみた記事をあとから書いたが既に遅かろう。そこに関しては自分自身もかなり嫌な感じがしている。だからこそ、電子書籍を持っていても紙の本は決して捨てることが出来ないでいるのである)
他にも様々な人からの意見が届いた。
特にはてなブックマークなどでは紙の本を愛する人からのお叱りの声が沢山届いているわけだが、ここであえて紹介する必要もなかろう。
俺は結論から言えば「キミたち結局みんな本を愛してるんでしょう?」と小学生並の感想を投げかけただけだ。キミがそれに対して賛同しようが、怒り狂おうが俺はとてつもなく嬉しい。
そう。キミの声は「本が好きかって? 当たり前だろ!」だった。
電子書籍を悪だと考えていたり、紙の本を不要だと考えていたり、両方共あっていいと思っていたりと、その主義主張は違えども、たったの五〇人や百人程度でなく、二万人もの本を愛する過激派が、こんな存在するかどうかも定かではないブログに集まったのである。
俺はその事実が心底嬉しい。キミが俺をどう罵ろうと嬉しい。
キミがわかっていないというのなら確かにそうなのだろう。
俺は本当にわかっていなかった。
心配する必要も尋ねる必要もなかったという事に。
左翼も右翼もあり、互いに対立はするものの、今現状の日本とは違って、皆本のことを俺以上に愛し、俺以上に考えている事が知れて、本当に良かった。
もう、これに関しては俺からいうことは全く無いと言っていいだろう。
しかし、もしも、本というものが皆の心のなかから少しずつ忘れられていっていると感じたその時は、もう一度だけ言わなくてはならないだろう。
そう、小学生並みの感想をだ。「わかってない」と再び言おう。
ただ、この長くて退屈な物語には、そんなセリフが書かれる事は金輪際無いと、俺は確信している。
キミが「何もわかっていない」と断じる俺にも、
それだけははっきりと「わかっている」のだ。
では、失敬。