景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

「紙派だから」と言い出すキミは電子書籍をわかっていない

 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミはひょっとして「僕は紙派だから電子書籍はいいや」なんて思ってはいないだろうか? 「だって紙の方が好きだし」だの「ページをめくるのが好きだから」などとを言い続けてはいやしないだろうか?

 もしも、そう思い、そう発言しているのならば、俺はキミに言ってやりたい「キミはなんにもわかっていない」と。

今回のお話は、そんな電子書籍に対する誤解を解くために、二十一年もの間本を狂ったように読み続けている俺が、具体的に電子書籍というものが「本当はどういうものなのか」について語る、そんなお話である。

 

まずはキミに謝りたい。キミのせいではないと。

 さて、「何もわかってない」などと初対面のキミをなじってしまったが、結論から言うとそれはキミ自身の責任では無い。何故ならキミはバカではないからだ。むしろ、とてつもなく賢い。そしてキミ自身が本をこよなく愛していることも勿論俺は知っている。

 では、何故、そんな賢いはずのキミが「紙の本が~」などと誤解したままでいるのかというと話は簡単だ。

 キミもうすうす気づいているかも知れないが、この電子書籍と紙書籍との間にはある種のイデオロギーの問題が発生しているのだ。ああ、キミ、顔色が変わったね。気づいたんだね。そうだ。

 誰によって?

 おそらく出版社とAmazonとによってである。

 

 

電子書籍 VS 紙書籍の二項対立がそもそもおかしい。

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 そうだ。何故、電子書籍、紙書籍が戦い合っているのだろうか?

 俺にはこれがさっぱりわからない。おそらく、Amazonと出版社という戦いの構図から生れたモノなのだろうと俺は考えるが、何故それに読者までもが参戦してしまっているのか俺にはこれっぽっちもわからない。

 これはたとえが悪いかもしれないが、ツンデレを「ツン派か?」「デレ派か?」などというあり得ない二項対立で語っているのと同じである。ツン派の角川、デレ派の早川なんてやっていたら、俺は正直どちらに対しても幻滅する。

 そりゃあ、キミのヒロインはこれまでツンツンしていただろうが、「俺はツン派だから」などと言い始めた日には、キミは本当にどうかしているよ。こんな例えをだす俺もどうかしているかと思うが。

 だからもう、そんなどうかしている理由で争わなくてもいいではないか。キミもそう思わんかね?

 

電子書籍はあくまで書籍のサイズの話だ

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 そう。電子書籍は、文庫本、単行本、新書などと並ぶ書籍の一形態でしかない。

 紙の書籍に取って代わるものではないと俺は思っているし、むしろ電子書籍の流行が逆に紙の書籍の流行を促すだろうと俺は睨んでいる。これについて詳しく書こうと思うと4000字は下らないので、理由については次回にまわすとするが俺は本気でそう考えている。

 それでは、具体的にどのような特徴を持った書籍形態なのだろうか?

 一つずつ見てこうじゃないか。

 

電子書籍とは書斎を持ち運ぶという事だ。

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 キミのいる場所は書斎である。

 キミが電車に乗っていようが、飛行機に乗っていようが、キミが後鳥羽上皇で沖に流されようとそこが書斎になるのである。

 そう、VRMMOの世界から出れなくなろうが、敵対マフィアから拷問を受けていようが、東京湾に沈みゆく中で何故足を洗わなかったのかと悔やんでいようが、キミのいる場所こそが書斎になる。

 

 それが、電子書籍の大きなメリットだと俺は思っている。

 

 例えばKindleであれば、一つのデバイスの中に1000冊の本を入れることができる。俺はそれまでどこかに出かけるときには、本を少なからず5冊はカバンに入れなければ外に出ることさえままならなかったのだが、これを実際にやるなると「なに? チョモランマでも登頂するの?」と色々な人に言われてしまうのである。

 そして、自分自身でもそれは重くて重くてしょうがないと自覚していた。

 しかし、電子書籍であれば100冊の本を持ち歩こうと、重さはたったの文庫本一冊分である。これは本当に凄いことだと思うのだが、キミはどうおもうかね?

 

電子書籍とは書店を持ち運ぶことである

 

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 キミはこんな経験をしたことがないだろうか?

 なにかしらの記事を読んで、一冊の本に対しての興味がムクムクと大きくなっていってはいるが、残念なことに時間が時間であることもあって、書店は閉まっている。

 もしくは、書店は開いているが、なんだかだるくて外に出たくない。外にはゾンビがいるかもしれないし、少なくともアマゾンから金属バットが届くまでは、外に出たくないと思っているのだ。

 そうなるとおそらくアマゾンで、書籍を注文して届くのを待つのがベストな選択肢なのだろう。しかし、キミもそして俺も、今すぐにその本を読みたいと思っている。

 お急ぎ便で一日待たされている間に人を一人殺しかねないほどの激情だ。読みたい。読みたい。読みたい。

 勿論、書店を巡って本を買うのは好きだ。平積みになった本を眺めながらテクテク歩いて行くのは実に愉快だ。しかし、今日は気分的に外に出たくないし、行って本がなかったらやだし、でもでも今すぐに読みたいんだ。

 そういう人にとってKindleリーダーや電子書籍というものは本当に革命的に便利だ。

 今すぐ買って読みたいのであれば、今すぐ買って読めば良いのだから。

 紙の本は大好きだが、読みたいと思った本はスグにその場で読み始めたい。そんな思いに答えてくれるのが電子書籍の大きな利点だ。

 

 

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電子書籍とは厚さのない書籍だ。

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 境界線上のホライゾンを片手でもって悠然と読むことができる人ならいざ知らず、それほど読書経験がない人にとって厚みは大きな障害となるはずだ。

 

境界線上のホライゾン (1) (電撃コミックス)

境界線上のホライゾン (1) (電撃コミックス)

 

(境界線上のホライゾンは読める鈍器と呼ばれている)

 

 ネットニュースやTwitterなどを見るときに、「ああ、読むの辛そう」と考える人間はおそらくいないが、書籍ともなるとなぜか「ああ、しんどそう。分厚い」となってしまう人は実に多い。

 しかし、そういう人に限っていざ読み始めると時間も忘れず読み進めて、気がつくと最後のページにたどり着いてしまっているものである。

 そうでない人も勿論いるだろうが、少なくとも俺の周りにいざ読むと熱中してしまう人間が何人かいる。

 しかしそんな人も、熱中して読んでしまったという経験をしたのにもかかわらず、改めて分厚い本を目の前に差し出すとどうしても物怖じしてしまうらしい。

 

 電子書籍には厚みがない。

 

 ネットに転がっているネタやニュースを読むのとほぼ変わらない感覚で、小説を読むことが出来る。

 とても面白い小説であるのにも関わらず、誰も読み始めないのだとしたら、おそらく厚みが原因だろう。

 だが、電子書籍には厚みがない。

 だからこそ、今まで本を読んだことがないのだけれど、という人には電子書籍をオススメしたい。そして、あいにく俺はとてつもなく面白い小説をたくさん知っている。是非、気軽に尋ねてほしい。

 

電子書籍とはキミの出版社でもある。

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 電子書籍の大きな特徴は、出版の際のコストがほとんどかからないということである。

 従来の書籍の場合非常にコストがかかるため、実力のある作家、権威のある著者、少なくとも採算性の取れる何かがなくては出版することは出来ない。

 

 これは聞いた話なので、正しいかどうかはわからないが、紙の本の場合、どうやら初版本が全て売れたときに、製造原価が全て回収できるような値段設定で本を売っているらしい。

 

 つまり売れなさそうな本であれば必然的に値段があがってしまうということだ。

 

 しかし、電子書籍にはそれがない。

 試しに電子書籍の製造原価を大まかに計算してみよう。

 

 表紙をクラウドソーシングで外注した場合の費用が大体2万円、これも自分で作ればプライスレス、本文は勿論プライスレス、製本は個人でできるからプライスレス。

 

 つまり、0円から2万円が製造原価となる。

 

 もしも一冊につき100円程度の利益があるのであれば、2万円かけて作ったとしても、200冊売れれば原価が回収できる。しかし、紙の同人本で同じものを出そうとすると、200冊なら七万から十万はかかるだろう。

 500円で200冊売り切ってようやく、原価回収である。しかし、電子書籍であれば、100円や200円で売っても少なくとも赤字は増えていかない。

 要するに、採算性の合わなそうな書籍であろうとガンガン出版することが可能だというわけだ。それに、最初は表紙も自分で用意してみればいいだろう。売り上げが伸びてきたら、その売り上げで絵師さんに表紙を外注してみる。この方法であれば、ほぼ完全に無料で本を出し続けることが出来るわけである。

 

 つまり、何が言いたいかというと、電子書籍という媒体は、キミにとっての出版社でもあるということだ。勿論、なんらかの権威や知名度や、実力や、採算性の合う要素がある程度はあった方がいいだろうとは思うが、少なくともこの電子書籍という媒体の世界はただ読むだけの為に存在している世界ではない。

 キミの本が書店に並んでいてもいい。

 それはこれまで求められてきたもので無くてもいい。

 こういう懐の深さが俺が電子書籍を愛している大きな理由の一つでもあるのだ。

 

他にも誤解しているところはある

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 他にも誤解しているんじゃないかと俺が思っているのは、リーダーが高いという誤解だろう。これは大きな誤解だ。もしもスマートフォンを持っているのであればそれで読むことは出来るし、iPadでも読むことは出来る。

 

 そしてAmazonから出ているKindleも恐ろしく安い。

 

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 プライム会員価格なら¥4,980、一般価格でも¥8,980という恐ろしく安い値段だ。

 iPadの四分の一の価格だ。また同じAmazonアカウントで購入した本はすべての端末に配信される。iPhoneとKindleがあれば、どちらでも読むことが出来るし、最大で5端末まで配信できるので、家族で一冊の本を読むことも出来る。

 もしも家に読書家が二人以上いるのであれば、2カ月程度でペイできる値段である。そもそも一万円以下で持ち運びできる書斎が手に入ると考えるともうこれは破格の値段である。

 

 これだけ安いのだから安かろう悪かろうなんて最初のうちは考えていたが、非常に読む人のことをよく考えているデバイスだった。

 紙と変わらないとまでは言わないが、液晶画面で本を読むという抵抗をかなり和らげてくれる愛着のわくデバイスなのである。俺はあまりにも気に入りすぎたあげく、姪っ子にもKindleをプレゼントして仲良く同じ本を読んでいる。

 

なになに? 紙ディスってんの? と思ったキミへ

 さてここまで、電子書籍とは実際どういうモノなのかを語ってきた。

 実際問題まだまだ良いところは沢山あるのだが、そろそろ紙派を未だに標榜してやまない人達から、

「なるほど。つまり、お前は電子書籍最高で、紙の本は駄目だって言いたいんだな? そうだな?」と言われそうなので、そろそろ紙の本の良さも書いていくことしよう。 

「電子書籍を利用し始めると、紙の本や、街の小さな書店の良さ、そしてメリットが本当によく見えてくる」と俺は考えている。

 もしも、キミが「紙派だから、めくれるから、さわり心地が好きだから」などとまだまだ考えているようであれば、キミは紙の本の本当の良さもわかっていない。

 さて、ここまで電子書籍の良いことばかり説明してきたが、勿論紙の本にだって良いところは沢山ある。そんな良いところの中から、電子書籍を利用し始めて改めて実感したことを書いていきたいと思う。

 

紙の書籍とは、物語を自分のためだけに所有できるということだ。

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 Amazonや他の電子書籍パブリッシャーで電子書籍を購入しただけでは、本当の意味で、物語を所有しているとは言えないと俺は思う。キミだって本好きなら思うはずだ。自分の人生の中で傑作だと思える物語は、しっかりと自分の為だけに持っておきたいと。俺だってそうだ。

 電子書籍はどう控えめに考えても、物語を所有しているとは言えない。もしも、物語をしっかりと所有しているのだとしたら、それは誰かに受け継げるはずだからだ。俺が所有している電子書籍は、おそらく俺が死ねば、誰にも読まれることはないだろう。

 誰かが、同じ本を電子書籍の本屋で買うことはあったとしても、俺が、俺自身のために所有していた本は、どこにも受け継がれていくことがない。紙の書籍であれば、たとえ、電気の供給が世界中で絶たれようとも、戦争や混乱が起ころうとも、仮に俺が死のうとも、確実にモノとしてそこに残る。

 そんな理由で? と人は言うかもしれないが、紙の本を持つと言うことは確実に物語を所有し、それを自分だけのモノに出来ると言うことだ。そして、それは誰かに受け継がれていくかもしれないということだ。

 まぁ、廃品回収に出されなければだけど。

 紙の本は手渡すことが出来る媒体だ

 なんだそのバカな理由。とキミは思ったかもしれないが、これは実はとてつもなく大きい。実際俺自身、コミケなどの即売会で、紙の書籍と電子書籍を別々に販売していたことがあったのだが、バカみたいに電子書籍の方がハケが悪かったのだ。

 これは勿論電子書籍が、市民権を得ていないという可能性もあるが、俺は別の可能性があるのではないかと思えて仕方が無いのだ。それが、この手渡すことが出来るということである。

 もしも、電子書籍だけで世界が回り始めたら、作家のサイン会などと言ったものは無くなるだろう。しかし、作家に対する憧れというモノは果たして全て電子化することが出来るのだろうか?

 ちなみに俺は森見先生に頂いたサイン本を本当に大切に今でも持っている。

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 そうだ。作家から直接手渡しで物語を渡されるというのは、紙の本にしか出来ないことだ。サイン入りも無理だろう。そしてデジタルデータであれば、それは別に俺自身のためだけの本では無い。

 作家から直接手渡しされた俺自身のためだけの物語というこの圧倒的な価値を、電子書籍は絶対に超えることは出来ない。

 つまり、電子書籍が出るまで待つ読者がいて、文庫本が出るまで待つ読者がいて、単子本が出るまで待つ読者がいて、作者から直接サイン本を手渡しで貰いたいと思う読者もいるという訳だ。小説という文化が復興した暁には、街の書店は本を売る場所では無く、作家と出会う場所になるに違いないと俺は勝手な事を考えているのである。

 (何かAKBの握手券かよとか言われそうで……うん何でも無い)

紙の本は賞である。

 今現在、電子書籍として販売されていたモノが紙の書籍になっていっているのをキミはおそらく知っている事だろう。Gene Mapperの藤井太洋先生などがそうだ。

 つまり、これまでは「○○新人賞受賞」として新人の書いた本を売り出していた訳だが、これからは「電子書籍で今話題の一冊」「アマゾンランキングで一位の電子書籍」という風に売り出していくことが一般化していくのではないかという事だ。

 作家志望の人達はこぞって自らの本を電子出版し、その中から受賞に値すると選ばれた作品だけが、紙の本として出版される。そう、紙の本がある種の賞の役割をしていくのではないかという話だ。

 これに関しては、本当にこれからどうなるのかといった話だろうが、少なくとも俺は、紙の本はある種の賞としての性質を強めていくと考えている。

 電子書籍というモノは、少なくとも出そうと思う人が増えれば増えるだけ、埋もれる人が出てくる。また、その全体的な質も下がっていくことだろう。しかしそんな中、紙の本は少なくとも、埋もれる可能性が少ないモノだとも言えるし、質に関しても、電子書籍の中から選ばれたモノだけを出していくことによって、より厳選されたモノだけになっていくのではないかと、俺は思う。

 

まとめ

 本当にビックリである。何と戦えば、こんな長ったらしい文章が書けるのか。君もそう思っていることだろう。短くまとめれば、「電子書籍だとか紙の本だとか区別するのはおかしい」って話なのだが、どうしてこんなに熱を込めて書いているのだろう。

 

 それはひとえに、紙派だから電子書籍派だからと、必要の無い争いをして、俺の好きな本というモノが、次第に市民権を無くしていっているように感じるからなのだろう。俺はそれをかなりひしひしと感じている。

 紙の本が、電子書籍が戦うべきは、ずばり無料のコンテンツである。具体的に言うなれば、ソーシャルゲームや、動画サイト、まとめブログなどである。この世の中は面白い無料のモノであふれかえっている。そんな中で、俺とキミの愛する紙の本は、電子書籍は、一体どうなっていくのだろう。

 

 何度も言うが、電子書籍だから、紙の本だからという偏見は今日で終りにして欲しい。キミが救うべきは街の本屋さんでも、出版社でも、作家でもない。どれか一つが生き残ればそれでいいという話では無い。

 もしもキミがそれらを含めたすべての文化をこよなく愛する人であれば、沈み行く船の中で隣人を殴り倒すのは、もうこの辺でやめにしようじゃないか。

 一人一人がそう、思い始めたなら、まだまだ本には救いがあるだろう。

 

 では、失敬。