景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

キミの学び方が決定的に間違っているたった一つの理由

今週のお題「いま学んでみたいこと」

 どうも。俺だ。景虎だ。

 どうやらはてなブログという物は「今週のお題」という機能が付いているらしく、どうにも興味をひかれるお題があったので、今日はそれで書いてみたいと考えている。ただ、俺自身「学んでみたい」と感じたらすぐに学び始める質の人間であるから、それで、書くのは適切だとはいえないだろう。

 そこで今回は、具体的にすぐに学び始めるにはどうすればいいのかについて書いていこうと思う。

 それはズバリ「キミの学び方が決定的に間違っているたった一つの理由」についてである。

  もしかすると、キミはダ・ヴィンチのような完全無欠の完璧超人で、挫折も学ぶのに苦労したこと無いのかもしれないが、もし、そうでないならば、是非最後まで付き合って欲しい。学べど学べど全く上達していかないと感じているキミもそうである。是非、最後まで付き合ってもらいたい。

 そう、学び続ける為のとっておきの秘訣をキミだけに教えてあげよう。

 

やりたいことがあるからこそ学び、そしてなぜか挫折するキミへ

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 恐らくほとんどの人が、「何かやりたいことがあるからこそ学ぶ」のだろう。小中高生に関していえば、学ぶことを選べないということもあるが、少なくともキミや俺のようないい大人は、何かを実現せしめんと考えて、学び始めるのだと思っている。

 しかし、キミは恐らく「時間がないから……」と言い訳して一歩を踏み出せないでいるか、一歩踏み出したはいいものの「やっぱり俺には無理だ……」などと挫折してしまっているのだろう。

 なぜだろうか? どうしてキミは、新しいことを始めようとして挫折するのか?

 話は至極単純である。一つ。理由はたった一つなのである。 

 

マスター出来ないものをマスターしようとするからだ

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 それはずばり、マスター出来ないものをマスターしようとしているからである。

 人は――特に日本人は、出来ないということに恥を感じる人が多い。そして、「やってみて全然出来なかったら」という事を恐れて一歩を踏み出すことすらしない人もいる。「時間がないから」と言い訳するのがその人である。

(勿論俺自身もそういうところが少なからずある)

 出来ないということは苦痛だ。

 それに関しては、俺自身もはっきりと実感している。どんなに好きなことでも、「ああ、上手くいかない」「俺はダメだ」「全然上手くできない」とスランプに陥っている時などは、苦痛で苦痛で仕方がない。

 では、何故、出来ないのか? 上手く出来ないのだろうか? マスターすることが出来ない理由はどこにあるのか?

 非常に単純な問題だ。

 キミ自身がマスター出来ないことをマスターしようとこだわっているからである。

 

マスター出来ることと出来ないこと

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 例えば、キミは九九を使いこなせるだろうか?

 一桁の掛け算を語呂合わせで全部覚えるあれである。

 別にバカにしている訳ではない。

 なぜならキミは恐らく九九を使いこなすことが出来、九九をマスターしているといえるからだ。そしてキミが「俺は九九をマスターしてるぜ」と誇らしげに言っても、決して人に否定されることは無いだろう。

 しかし、キミが何か別のものも「九九と同じようにマスターしよう」と考えていて「これっぽっちもマスターできないでいる」のだとしたら、それは致命的な罠にハマっていると言わざるを得ない。

 なぜなら、物事にはマスター出来るものと、出来ないものがあるからだ。

マスター出来ることの特徴

  1. 覚えるだけでよく範囲が狭い。
  2. マスターの基準が明確である。
  3. マスターしていることを人が疑わない。
  4. 自分の実力で到達可能だ。

 もしも、この四つの条件に大体当てはまるのであれば、キミはマスターしようと考えても良いだろう。九九やインド式2桁九九などもこれにまさしく当てはまるだろう。

 マスターしたと言えるまでの距離がキミからそれほど離れていないということと、それをマスターしたと自分ではっきりと自覚できる基準があることが重要である。

 

マスター出来ないことの特徴

  1. 覚えるだけではどうにもならず範囲が莫大、もしくは漠然としている。
  2. マスターの基準が曖昧。
  3. マスターしたと言うと袋叩きに合う。
  4. 自分の実力で到達可能かわからない。

 もしも、この四つの条件に大体当てはまるのであれば、マスターしようと思って始めるのは非常に危険である。キミに美意識やプロ意識などという物があれば余計にそうである。ゴール地点が明確ではないからだ。それか途方も無いほど目的地が遠く、一歩歩き出した時点で心が折れてしまうからである。

 「プロの小説家になりたい」とか、そういう物凄く難しい実績を最初に解除しようと考えて始めてはいけない。最初はエディターを立ち上げるだけでもいい、次は適当に140文字何か書いてみるだけでいい、そして次は200文字に挑戦してみよう。400文字でオチがつく話を書いてみよう。そんな風に自分にとってたどり着けるものであればマスターできるだろうが、いきなり「一本の傑作小説を書こう」と考えても、挫折するか傷だらけになるだけだ。

 「Rubyをマスターする」とか「PHPをマスターする」とか「HTMLとCSSをマスターする」というのも、どの時点で自分自身がマスターしたといえるのか明確な基準がわからないのであれば、それは自殺行為である。

 「HTMLを『テキストサイトが作れるレベルまで』マスターする」とかであれば全然構わないが、自分の現時点の知識で到達可能かどうかわからない物をマスターしようと考えて突き進むべきではない。

 勿論、全くそれを判断する知識がないのであれば、多少はかじってみるのもいいかもしれないが、基本的にこれらの条件に幾つか当てはまるのであれば、キミはマスターする事が出来ず、出来ない出来ないと挫折感ばかり味わうハメになるということだ。

 そして、そんな苦痛に、人は通常長くは耐えられないのである。

 

実際にマスターしていると認められるまでにかかる時間

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photo by JD Hancock

 勿論マスター出来ないことも、「この人はマスターしている」「その道の名人だ」と認められる段階に達する事は出来るだろう。そして、それが実現するまでにはおおよそ10000時間ほどかかると聞いたことがある。フロリダ州立大学のK.アンダース・エリクソン博士が提唱したものだ。

 

10000時間の法則とは? 10000時間の法則計算機

 

 ここでこの理論が正しいか間違っているのかを話すつもりは無いが、大体なにかを「世界的に活躍できるレベル」になるにはそのぐらい時間がかかると言いたいわけである。

 この話をきいてキミが「なるほど。じゃあ俺も今日から10000時間、プロになるために頑張ろう」と漠然と考えたならば、まず間違いなく、一つの問題と直面することになる。誓っていい。俺もそれで多くの挫折を味わってきたのだから。

 

キミは実にバカだよ

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photo by Viktor Hertz

 さて、こう言われてみてキミはどう感じただろうか?

「キミはバカだ」「キミは出来ない」「キミは未熟だ」「キミは実にくだらない」何でもいい。そんな言葉を俺がキミに投げかけたなら、「いやお前の方こそそうだろ。失礼だな」と言い返すのではないだろうか?

 しかし、実際に何かをマスターしようしているキミにこの言葉が投げかけて来るのは、勿論俺ではない。だからこそ、キミは「次第に言い返すことが出来なくなる」と俺は断言できる。

 

 その言葉を投げかけるのは、俺ではなくキミ自身だからである。

 

 例えば、俺が「絵をマスターしよう」「プロのイラストレーターになろう」と考えていたとして、

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 描けるのはこんな絵である。ちなみにこれはオクトキャットだ。実物はこれだ。

 

http://www.flickr.com/photos/19994833@N00/8420312876

photo by Bernie Goldbach

 

 原型すら無いと言っていいだろう。

 だが、もしも俺が「プロレベルになりたい」「絵をマスターしたい」と本気で考えていたとしたら、「俺ってなんて下手くそなんだろう」「絵の才能ないのかな?」「なんで上手く描けないんだろう」と本気で悩むのだろう。そして俺は次第に「俺は絵を描く才能がない。俺には絵が描けない」などと言い始めてしまうわけである。

 

 数時間であればそんな葛藤と闘いながら描くのも良いだろうが、プロ級になるためには10000時間かかるわけである。キミは自分自身を「バカだ」「駄目だ」と深刻に罵りながら10000時間戦い続けることが出来るだろうか?

 

 もしもこの問に「イエス」と答える勇気があるなら、やってみればいい。

 間違いなく、多くの人は挫折してしまうだろう。

 そして、キミ自身もおそらくは挫折してしまうだろう。

 しかし、そのことで自分を責めなくてもいい。

 恐らくそんなことが出来る人間はそうそう多くはいないはずだからである。

 

マスターしていない。だから俺は出来ないの呪縛。

http://www.flickr.com/photos/11467430@N08/2212541092

photo by chris_ryan

 そんな事が長く続くと、次第に人は挫折する。「マスターできない。だから俺には出来ない」などと言い始めて挫折する。実に馬鹿らしいが、俺もその呪縛によって数々の事を挫折してきた。

 冷静になって考えてみれば、プロとして活動している人の中にも技術的に未熟な人がいるのにもかかわらずである。その技術で飯を食っている人の中にも、確実に未熟で下手くそな人がいるのにもかかわらず、「俺はマスターしていない。下手くそだから出来ない」と呪いのような言葉を自分に投げかけるわけである。

 人は誰かからバカだと言われるのが嫌いであるのと同じくらい、「自分を自分でバカだと思う」ことに耐えられない。特に日本人は、なまじ恥の文化があるからこそ、始めることすらままならない。続けることも難しいという人が非常に多いのだと、俺は考えている。

 キミがもし同じような理由で挫折を何度も味わっているのだとしたら、今日から「マスター出来ないことをマスターしよう」などと考えてはいけない。

 それはキミの中に住む挫折の化物を呼び起こすだけだし、きっと楽しくない。

 もしも、キミが「傍から見るとバカバカしいと思えるかもしれない小さな『出来る』」を少しずつ積み上げる事が出来たのなら、マスター出来る小さな目標を一つずつ達成していけたのなら、気づけば名人と呼ばれる人になっていることもあるかもしれない。

 そう、楽しさこそが、キミに常人ではありえないほどの精神力を与えてくれる。

 そして、小さなことでも出来るようになるという事はとてつもなく楽しい事なのである。

 

 まとめ

 もし、それでもまだキミがマスター出来ないことをマスターすることにこだわり「出来ない」と嘆いているのであれば、もしくは時間が無くて新しいことを始められずにいるのであれば、この本を読んでみるのが良いだろう。

たいていのことは20時間で習得できる 忙しい人のための超速スキル獲得術

たいていのことは20時間で習得できる 忙しい人のための超速スキル獲得術

 

 

 そしてこの記事も。

logmi.jp

 何か新しいことを出来るようになるという事は決して難しいことではない。ただ、そこにたどり着くまでの過程で、「バカバカしい」「俺は下手くそだ」などと思い始めて挫折してしまう人が非常に多い。

 もしも、キミが曲を作ってみたい、小説を書いてみたい、楽器を演奏してみたい、自分のサイトを作ってみたいなどと、何か新しいことをやりたい、学びたいと感じているならば、決して最初からプロレベルにマスターする必要はない。

「俺にしては凄い上達したな」「これっぽっちもわからなかったのに、こんなに出来るようになったじゃないか」と自分で実感できるレベルで良いのだ。小さな目標から潰していくのである。

 キミにとって重要な事は10000時間の修練ではなく、この記事を読み終わってからの5分だ。5分あれば世界は変えられる。

 オクトキャットが描けるようになり、ブログも書けるようになる。

 そして何より、何かに挫折してばかりだったキミは、もはやそこにはいないだろう。

 

 では、失敬。

  

 

追記

 俺は最近、曲作りについて学んでいる。

 既に合計40時間ほど経過したと思うが、そこそこ聞ける曲が自分で作れるようになったことに、何を隠そうオレ自身が一番驚いている。

 いや、勿論上出来とは言いがたいが、それでもドレミもわかるかどうか怪しかった俺が、そこそこ聞ける曲を作れるようになったのである。スゲー。俺スゲー。やった俺サイコーハッピー。

 そして、新しいことが出来るようになると、凄く嬉しいし楽しいというのも、しっかりとした実感としてあった。

 是非、キミも何かをやりたい、学びたいと思ったならば今日から五分ずつでもいい。早速始めてみるのはどうだろうか?

(曲に関しては今のところ公開する予定は無いが、他のことが落ち着いてきたらぼちぼち投下していくかもしれない)

 

 追記2

 自分が超えられるであろう小さな目標を設定するというのは、一般的にゲーミフィケーションと呼ばれている手法の一つだったような気がするが、俺自身それについて詳しいかどうか尋ねられると言葉に詰まる。

 なにせ、ガッチャマン・クラウズで知ったばかりなのだから……。

ゲームにすればうまくいく ―<ゲーミフィケーション>9つのフレームワーク

ゲームにすればうまくいく ―<ゲーミフィケーション>9つのフレームワーク

 

 どうやら、子どもたちの学習にこれを応用しようという考えもあるらしいが、子供に限らず、俺達こそ、この方法で色々な物を勉強していくのが良いのかもしれない。

 

 追記3

 最近プログラミングにも手を出しているのだが、ゲーム感覚で勉強できるサイトがあったのでそれも紹介しておこう。

prog-8.com

codeprep.jp

 

 最初の全く知識が無い段階にはうってつけだが、もしも何か変わったものを作ろうと考えているのなら、その都度ググッてみる必要があるだろう。実際に新入社員に使わせているという会社もあるらしい。

 

www.risewill.co.jp