戦う大人になりたいと思い続けて。
彼女が言っていた言葉はいつだって俺の頭を内側から叩きつけてくる。あの日あの時の文芸部の部室でキミは言った。「どうしてそんなに怖がってるのか」と。怖がっている訳じゃない。現実を見ていただけだと当時の俺は思っていたのだった。夢見がちな少年少女という奴は実のところ期間限定のキャンペーンに過ぎず、大人になろうとしていた俺には、そんなものは不要なはずだったのだ。
しかし、不要なはずのその期間限定キャンペーン応募ハガキは、二十歳になった良い大人の俺のポケットの中に未だ入ったままだった。実に情けない。もっと早く応募するべきだったのに、俺はこれまでどうしてきたのだろう。
キャンペーンに申し込むだけなら命一つで済むだけなのに、俺はやっぱり怖がっていたのだった。夢なんて見すぎて、現実に愛想を尽かされたらどうなるのだろうと、俺は毎日毎日恐れていたのだった。そんなに自分が大事だろうか。それは確かに大事には違いない。だが、それと引き換えにしていいほど、俺の抱えてきた物語は安っちいものなのだろうか。そんな安っぽいソープドラマのようなものを後生大事に抱えて俺は死ぬのか?
俺はごめんだね。そう、二十年もかかって俺はようやくそれが言えるようになったのだった。やっぱり「戦う大人になりたい」と。
俺は戦う大人になりたかった。現実と戦う大人になりたかった。自分の思い通りに一つもならない現実に風穴を開けて、すべてを思い通りにする力が欲しかった。しかし、それにはどう控えめに見積もっても、血のにじむ努力と、道を同じくする仲間と、そして倒すことのできる明確な敵、そして明確な勝利が必要だった。「ジャンプかよ」と俺は唸った。でもそれは事実だった。
しかし、どう考えても俺はまだ無責任な子供のままだった。自分の命と小さな世界を維持するのに精一杯の子供。もしもそんな生命維持装置に繋がれているような日々をあと60年も続けるというのであれば、俺は今すぐにチューブを引きちぎって死んでしまいたい。だがしかし、俺にはご生憎様、そうすることが出来ないでいた。情けないことに、そこまでがっちりはまってしまっていたのだ。
現実を見ろと大人は言う。俺も現実を見た。そして、気づくと凝り固まった現実の中を生きていた。無味乾燥で劇的なことがなにも起こりえない日常を食みながら、俺はとりあえず生きている。そんなものに感傷を抱くのは子供だけだよと嘘をつきながら、「とりあえず生きている」だけだった。情けないと思う。なぜ誰も現実と戦わないのだろう。俺はなぜ現実と戦わないのだろう。コンピュータ相手に勝つことができないという現実があったとして、棋士は将棋をやめるのだろうか。日本は変わることができないとして、政治家はすべてを諦め己が私利を肥やすだけの愚物に成り下がるのだろうか。作家では食っていけないという現実があったとして、俺は書くことをやめてしまうのだろうか。悲惨な結末になるかもしれないからといって、俺は戦うことを諦めてしまうのだろうか。
「嫌だ。もうウンザリだ。」と気づくと口から本音が漏れていた。拳を机に叩きつけて俺は叫んだ。「なにをそんなに怖がってるんだ。馬鹿か俺は」と。
世間様から、現実から愛想を尽かされるのが怖いのは誰だって同じだ。だからといってそんなものの奴隷に成り下がって、ビクビク生きていくのであれば、浅ましい。殺してやった方がソイツの為になるだろう。
俺はそんなものは願い下げだった。
そして、あれから六年。俺は未だに血反吐を吐きながら机にしがみついている。戦う大人になりたいんだと言って振り上げた拳を振り下ろす場所が見つからず、ほぼ六年間ずっとずっと拳を振り上げたまま走り続けてきた訳だ。
情けないと思う。だが、それが俺の本質なのだろう。情けない男、景虎。いいじゃないか、情けなく無くなったら、誰が俺を俺だと認めてくれるのだろう。情けないけれど、やるときはやる奴になればいい。俺はそんな主人公が好きだし、そしてこの物語の主人公である俺もそうありたいと思っている。
休戦なんて言葉は俺の辞書にはない。俺は現実と戦う。くそったれな現実と戦う。誰のせいでこうなったのか、なんでこんなにがむしゃらに拳を振り上げたまま走っているのか見当もつかないけれど、俺はちっとも後悔なんてしていない。今日死んでも明日死んでも、生きていたと胸を張って言えるだろう。
それでもしも「お前は一体何と戦ってるんだよ」と彼女やキミが笑うのであれば、俺の目論見は間違っていなかった。俺の作戦勝ちである。戦って勝った訳ではないが、ひとまず引き分けということにはなるのだろう。
俺は人を楽しませることが好きだ。俺は人の心を震わせるそんな大人になりたい。認めたくない現実を一瞬だけでも忘れさせてくれる大人になりたい。そしてそんな感覚を与えてくれた先人達のように立派な大人になりたいのである。
そして俺はとうとう拳を振り下ろす場所を見つけた。
(やたらと空白の多い原稿を見つめながら)
景虎