俺はサインコサインタンジェントを知らない。
俺は知らない。サインコサインタンジェントを知らないでいると、具体的にどう困るのかを知らない。サインもコサインもタンジェントもそれが一体なんだったのか、これっぽっちも覚えていない。
俺は知らない。社会を知らないでいると、具体的にどう困るのかを知らない。社会というものが一体俺に何をしてくれたのか、これっぽっちも覚えていない。
俺は知らない。キミの知っているであろうことを知らない。キミが役に立ったといっていたものが、俺にとってもそうであったのか、これっぽっちも覚えていない。
原始人は言うだろう。「そのスマホってやつ、具体的に何の役に立つの?」と。
ガラケーの人もそう言うだろう。キミがガラケーなら同じことを思っているはずだと信じたいがあいにくキミのことはこれっぽっちも知らない。
キミの母は言うだろう。「マンガ本読んでないで、勉強しなさい」と。
マンガから学ぶことだって、ものすごくあるのだと彼女は知らないのだろう。
漫画を一切読まないのであれば、キミだってそう思うはずだ。しかし、キミもキミの母についても俺はよく知らない。
俺はキミに言うだろう。「もっと小説を読むべきだ」って。
小説を読むくらいなら、一人や二人友達を作って遊んだほうが有意義だと、俺は知らないのだろう。そして、キミは小説を読むと具体的に何の役に立って、どうなるのかを知らないでいるのだろう。
俺も、キミも、何も知らないままでいる。
そして世界は何も知らず、理解しあえぬまま回っている。
知らないということは、具体的に言うと、何も知らないってことだ。
それが役に立つのか、なんに使えるのか、役立たずなのか。
どんな気持ちになるのか、どんな人なのか、それは何につながるのか。
なぜ知らなくてはいけないのか、なぜ知らないほうがいいのか。
女の子は何を知るべきなのか、何を学ぶべきなのか。
女の子とは何か、女の子とは誰か、どんな人なのか。
知った気になることでしか、世界は回せない。
知らないやつを軽蔑することでしか、己を保てない。
そんなこの世界のことを俺は正しくないと思うが、具体的には何も知らない。
しかし、「女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」 という人がいても、やたらめったら怒るべきではないと俺は知っている。
そんなことを言う人は、サインもコサインもタンジェントも女の子も男女平等も知らず、それが何の役に立ち、それがどれだけ素晴らしくて、どれだけダメなもので、それを知らないでいると具体的にどう困るのかを知らないのだ。
今彼が、慌てふためいているのはそれを知らないとどう困るのかを知らなかったからだ。そして、彼はこれからも具体的に「女の子、男女平等」というものが何であって、どうするべきものなのかも一切わからず、キミに責められてなんとなくわかったような気がして、それが一切わかっていないということも知らずに、一生を終えることだろう。
知らない人を、知らないことで責め立てたとしても、どうしようもないと、俺は知っている。俺がサインコサインタンジェントを知らないことによって、人に責められたとしても、俺はなにがなんだかさっぱりわからない。
たぶん、ごめんねという。そして、すまんねという。
具体的には何も知らないのだけれど。
男女平等を知らない人が、男女平等を知らない人を責め立てて笑う。俺も、キミも、この世界の中の誰もが、どうなれば男女平等になるのかを知らない。知っていればなっているはずだろう。そしてやはり知らない人は、それを非難されても、具体的にどこが悪いのかなど、全くもってわからないのだ。
俺のことを知らない誰かが、サインコサインタンジェントすら知らないと笑うだろう。常識を知らないと笑うだろう。言葉を弄して男女平等をないがしろにしていると笑うだろう。しかし、具体的には俺もキミもその誰かさんも何にも知らない。
だからこそ、笑ってないでもっと学ぶべきなのだろう。
具体的にどうすればいいのか、あらゆることで知るべきだ。
教育だけが、世界を変えられると誰もが信じているはずなのだから。