景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

書きあぐねているキミに試してほしい3つの方法

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 どうも。俺だ。景虎だ。

 俺は仕事、趣味問わず、少なくとも毎日三万文字位は書いている。

 大して文章が上手いわけでもなく、必ずしも面白かったり役に立ったりするようなものを書いているわけではないが、ともかく俺は書ける。

 ある日突然、快楽殺人鬼に拉致され、真っ白な部屋に閉じ込められ「書けなかった方は殺す」みたいなソリッドシチュエーションスリラー的状況に陥ったとしても、容赦なく俺は書くだろうし、一緒に閉じ込められたのがこれを読んでいるキミだったとしても、俺は一瞬の迷いもなく書き上げることが出来るだろう。

(勿論キミが可愛い女の子だったら多少の罪悪感は感じる余裕がある)

 

 しかし、勿論、俺は昔からこうだった訳ではない。

 昔は書きあぐねまくった挙句、締め切りをぶっちぎって謝り倒すことが本当によくあった。むしろ書くよりも謝る方が上手かったくらいだ。テキストエディタに一文字打ち込むのよりも早く土下座の体勢に入ることが出来たくらいだが、その技術では食っていけないことは、はっきりとしていた。

 

 そんな書けない、書ける、いややっぱり書けないの不毛な連鎖を繰り返すうちに、俺は次第に、なぜ自分が書けないでいるのか、大体の答えが見えてくるようになった。

 

 今でも時折数十分程度書きあぐねることは確かにあるが、昔よりはだいぶ成長したと俺は思っている。そう、書けない時はどうすればいいのかの答えを、文字通り血反吐を吐きながら導き出したわけである。

 

 

 今回この記事に書くのは、そんな「書けない時にどうするか」という問いの俺なりの答えについてである。

 キミの創作の助けになるかどうかはわからないが、少なくともキミが血反吐を吐き始めた時に、ピンク色のハンカチくらい差し出す優しさに、俺は満ち溢れているのである。

 

 

キミが書けない問題はなにか?

 もしキミが既に文章を書いている人間であり、そして書きあぐねているのならば、「どうしてキミが書けないのか?」についてまずは考えてみるのがいいだろう。

 しかし、言っておこう。その書けない原因は間違いなく以下の三つである。

 

  1. 最初から完璧を求めすぎている
  2. 良いアイディアにこだわりすぎている
  3. 何から書いていいかわからないでいる

 

 大体この三つだ。なぜそんなことが断言できるかというと、俺がそうだったからである。キミがそうでない可能性もあるが、おそらくその原因の一つはどれか一つに根本があるはずだ。まずは、そんな書けない原因三つについて、俺がどうしているのかについて教えておこう。

 

1、完璧を求めるな

 おそらくキミは下手くそな文章を書くと誰かに何かを言われるんじゃないかと、心配しなくていい心配をしている。そんなことを考える必要は正直全くない。なぜなら、最初に書いた文章は誰もが下手くそなのだからである。

 もしも「俺は最初から名文が書ける」なんていう奴がいれば、ソイツは間違いなく嘘つきだし、鼻が長いし、狼にかじられた痕がある。たぶん口も臭いだろう。頭も洗ってないだろう。ひょっとすると安吾先生かもしれないが、俺の記憶が正しければ彼は既に死んでいたはずである。だからキミは信じていい。

 どんな偉大な文豪であろうと、たいてい一番最初に書かれたものは酷いものだ。一発でいきなりむちゃくちゃ良いものが書ける人間なんて正直なかなかいないだろう。キミはおそらく数百文字か、数十文字書き始めた段階で、己の文章力の無さにうんざりさせられて、書くのをやめてしまっているタイプだろう。

 俺は、書き始めた段階で自分の文章力の無さにうんざりしていたし、こんな下手くそな文字を人に見せるくらいなら、裸で外に出た方がましだと、これまでは考えていた。

 しかし、今の俺は裸で外に出ることを気にするような小心者でもなければ、最初から良いものが書けると信じる愚か者でもない。だからこそ、裸で外に出ることも、下手くそな文章を堂々と書くことも出来るのだ。

 え、裸で外に出たらいけない法律ってあるの? まじで? 何法? 全裸禁止法? 半裸ならおっけー?

 

 まぁ、いい。もう一度言う。

 最初から完璧な文章が書ける奴はいない。

 上手い文章を書ける奴、文才がある奴もそうだろう。

 そういう人間はひとえに直すのが上手いというパターンがほとんどだろう。

 

 いいか、書くときは情熱で書け。そして、推敲するならば冷徹にやれ。

 

 そう決めておけば、どんなに下手くそな文章だと思っても、少なくとも最後まで書き終えることが出来るだろう。パワーだ。パワーで書くのだ。力こそがパワー。パワーこそが力なのだ。

 

 しかし、もし推敲した後の文章がとてつもなくダメだと言われたら、どこがダメなのか具体的に教えてもらおう。

 そして素直に聞いて自分なりに直してみよう。

 気にする必要はない。文章というものはどこまで推敲しても終わりなんてことはないのだから。締め切りだけが、文章というものを終わらせることが出来るのだから気に病むな。

 素直に直してもっとよくしてみよう。

 しかし、もしも具体的に教えてくれなかったとしたら、ソイツはただ「お前より良い文章を書くやつを知っている」と言っているに過ぎない。考えても見てくれ、自分より上手い文章を書ける奴がいるなんて当たり前だろう? この世界の人口なめんなよ? 80億なめんな!

 え、そんな当たり前のことを言って悦に浸っている奴をどうにかしたいのかい? 許せないって? そんなら、レーザー銃でも撃ってみるかい?

 

 やめておきな。そういう奴に限って残機だけは多い。

 

 だから、そんな当たり前のことを言われて落ち込むな。キレるな。レーザー銃を振り回すな。パラノイアじゃないんだ。パワーで書け。そして推敲は冷徹にやれ。ダメだと言われたら教えを請え。教えて貰えないなら気にするな。レーザー銃を撃つのは、締め切りをぶっちぎった自分の頭にするべきだ。自分の残機が残っていなかったとしても、そうするべきだ。ZAPZAPZAP。

 

2、良いアイディアにこだわるな

 「アイディアが浮かばなくて困っている人など、いない」と俺は断言できる。

 その人が真に困っているのは「良いアイディアが浮かばない」からだ。

 アイディアは出るが、良いアイディアが出なくて困っている。そうだろう?

 だが、少し考えてみてほしい。

 キミ程度の人間に、そして俺程度の人間に「そのアイディアが本当に良いアイディアなのかどうか」思い浮かんだところで、見分けがつくと思うかね?

 そうなのである。実のところ「本当に良いアイディアなのかどうか」判断するためには統計を取る必要がある。つまり、書き終えていろんな人に判断を仰ぐまでは本当に良いアイディアなのかは誰にもわからないのだ。むしろ書き終えて読んでもらっても、誰にもわからないだろう。

 例えば、有名な話で言えば、あの3Dプリンターだが、実は日本人が最初に思いついたらしいじゃないか? しかし、その当時の日本人はそれが良いアイディアだと思わなかったのか、何か事情があったのか、それについて俺はあまり詳しくないが、結局大々的に作られることがなかったわけである。

 もう一つたとえ話をしよう。ドリームキャストというゲーム機を知っているだろうか? あれは本当に素晴らしい革新的なゲーム機だった。しかし、流行らなかったといっていいだろう。時代を行き過ぎていたのである。俺は本当に良いゲーム機だと思っていたが、遊んでくれるお友達はいなかったのである。

 

 たぶんそれは俺のせいじゃない。

 

 良いアイディアであるはずなのに、全員が全員それを良いアイディアだと判断できる段階にいなかったのである。

 だからこそ、キミは「良いアイディアが出ないから書けない」などというべきでない。アイディアならいくらでも出せるはずだ。その中から一つを試しにやってみればいい。出ない? 一つも出ないって? 本当に??

 少なくとも俺はアイディアで困ったことが生まれてこの方一度もない。

 だから、もしキミが本当にアイディアが全くでないのであれば、ちょっとばかし話がややこしくなる……。

 これについては俺自身がどのようにしてアイディアを出しているのか、実際に書いてみたいとは思うが、どうだろう。需要はあるだろうか?

 ともかく、別の記事で語ることとしよう。

 

3、何を書くべきか書け

 何から書いていいかわからないでいるのなら、まずは何を書くべきなのか書いていくと良い。とにかく何かを書くことによってしか、書き上げることには近づけない。

 読書感想文を書きあぐねているのであれば、まず何を書くべきか、何を書けるのか、書き出してみよう。

 本のタイトル、著者名、あらすじ、感動した部分、どうしてそれに感動したのか、主人公はどんな人物なのか、主人公はどんな決断を迫られるのか、主人公に感情移入したのはどうしてなのか、などと書けることを書き出していこう。

 意外と、書けることを書き出していくのはつらくない。そして、その書けることに対してまずは一行ずつでもいい、答えを埋めていけ、そして最後にそれをつなげて、肉付けしていけば完成に一歩近づける。何も難しくはない。キミならできる。

 小説を書くのでもそうだ。途中で書きあぐねているのであれば、何を書くべきなのか、何を書けるのかを書こう。主人公がどのような選択肢を選べるのか全部書いてみるのもいい。それぞれのキャラクターがどんなことを考えているのか書いてみるのもいいだろう。とにかく何を書くべきなのか、何を書けるのかと一度思考を切り替えてみたほうが、真っ白な雪原を当てもなく歩いていくよりも幾分か楽になるだろう。

 書けなくなったら書こう。少なくとも書けるものについてを。

 ブログを書けないでいるキミも、何を書くべきなのかを書いてみよう。ハウツーなのか? それとも日記なのか? それは今日コンビニで変なあだ名をつけられていると知った時のことなのか? Vプリカおじさんとあだ名をつけられてキミはどうして傷ついたのか? その店員がいかに可愛かったのか? そしてその行為がいかに下劣なのか? どのようなトラウマを想起させるのか? そのトラウマはいつの出来事か?

 俺は書いても書いても書き足らないくらいだが、冗長になりすぎるのでこの辺で終わりにしておこう。この質問に対する問いも出さない方が良い。

 クレジットカードの審査に通るのか自信が持てないでいるフリーのVプリカおじさんであることは事実なのだから。

 

まとめ

 さてと、長くなってしまったが、具体的にどのようにして自分が書きあぐねを回避しているかについて紹介してきた。ひょっとするとこの中のいくつかはキミを救うことになるかもしれないが、全員を全員救える答えを出せるほど、俺は長く生きてはいない。

 だから、騙されたと思って試してみる程度で良いだろう。

 

  1. 最初から完璧を求めない
  2. 良いアイディアにこだわらない
  3. 何を書くべきなのか書く

 この三つだ。本当はこれ以外にもあるのだけれど、それをいざブログに書き始めるととてもじゃないが、4000文字では足りない。もしも困ったならお互い様だろう。気兼ねなく聞いてくれてかまわないし、俺もその分わからないことがあれば嫌気がさすほど聞いてやろうと目論んでいる。

 キミが締め切りギリギリでこの記事を読んでいるのだとしたら、「進捗どうですか?」と俺はささやきかけるし、逆に俺が締め切り前で死んでいれば、「進捗ダメですか?」と俺の体を揺さぶっていい。

 お互い様だ。キミは俺の先生であり、俺はキミの先生にきっとなれる。

 そして、締め切りだって、いつか俺たちの手によって滅ぼすことが出来るようになるはずなのだ。

 

 だからこそ、

 

 絶望だけはまだするな。では失敬。