景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

「原始乙女と神の塔」をキミはもう読んだかね?

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今回は少し前にTwitterで褒めていたマンガについて書いていくとしよう。

 そう、俺が今キミに超絶オススメしたいマンガ――それが「原始乙女と神の塔」という作品なのである。

原始乙女と神の塔

原始乙女と神の塔

 

 前時代との歴史の連続性が絶たれてどうなるかという話は、個人的にもの凄く想像力をくすぐられるSF的モチーフであるとは思うのだが、本作「原始乙女と神の塔」では、「オタカラ」という一種のスーパーアイテムとしてギャグテイストに取り扱われているのが非常に興味深いのである。

 こうした歴史断絶物は比較的暗い話になりがちだが、この「原始乙女と神の塔」では非常に明るく、そして可愛いキャラクターとともに描かれているのである。

 それでは、そんな「原始乙女と神の塔」の魅力と歴史断絶物という物についてしばし、語っていくとしよう。

 キミも是非まだ未読なのであれば安いのでチェックしてみてくれたまえよ!

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なぜ俺が修学旅行でディズニーランドに行けなかったのか?

 どうも。俺だ。景虎だ。

 いつもはキミの為になる記事ばかり書いている俺だが、今日はどうにも許せない事態が目の前で繰り広げられていたので、珍しくクソの役にも立たない記事を書いていこうと考えている。

 まぁ、キミの事だから「いいよ。景虎君の記事はいつもクソの役に立たないけどちょっとばかりは面白いから続けて続けて」などと辛辣な言葉で俺を許してくれることだろう。

 しかし、今俺は猛烈に怒り狂っているので、そんな荒ぶる殺人象に面白さや面白く無さのコントロールを求めても無駄である。面白くとも面白くなかろうとも文句言いっこ無しである。

 

 さて、まず、この俺の怒りを理解して頂くには俺の過去について少しばかり語る必要が出てくる。

 若干回りくどくなるかもしれないが、そこはどうか辛抱頂きたい。

 それでは、始めよう。

 なぜ、俺が修学旅行でディズニーランドにいけなかったのか?

 その疑問からすべての怒りの原因は始まるのである。

 

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はじめての小川一水「想像力をくすぐる六冊の小説」

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今回は、とっておきの小説を紹介していくエントリを書いていこうと思っているのだが、その前にキミに一つ質問を投げておこうと思う。

 

 キミは、想像力に自信がある方だろうか?

 

 突然この問いを投げられて、「当然自信がありますよ」と答えられる人は中々いないとは思うが、中には内心「俺には類い希なる想像力がある」と信じてやまない自信家もいたりするのではないだろうか?

 少なくとも俺は「想像力とアイディア」に関しては相当自信がある方であり、それはあからさまに根拠無き自信ではあるのだが、それだけを胸に秘めこの世界を四分の一世紀生きてきたと言っても過言ではないほど自信家なのである。

 

 しかし、そんな俺は彼の作品と始めて出会ったその時に、「コ、コイツだけは生きていてはいけない! 俺の自信が無くなってしまう!」と動物としての生存本能がバリバリに働きまくっていた。

 その上「なぜ俺がこれを先に書かせてもらえなかったのか?」と嫉妬心と畏怖の心が綯い交ぜになったとてつもなく複雑な心境にさせられた思い出があるのである。

 

 そう、今回紹介していく小川一水先生の書く作品は、そんな自信家どもの顔を木っ端みじんに打ち砕き、原子レベルで分解してしまうほど、圧倒的なまでの想像力と魅力的なSF的思考に満ちたものになっているのである。

 

 今回はそんな脳に贅沢な小川一水作品の中から比較的取っつきやすく、そして想像力を最大限にくすぐってくれる六冊をチョイスしてみた。

 だから、もし少しでも興味が沸いたなら、いつでもいいので、機会を見つけて彼の想像力に挑戦してみて頂きたいと思う。

 まず、驚かされ、勝負にならないこと間違いなしなのだが。

 それでは紹介していくとしよう。

(ちなみに2016/01/23現在、AmazonにてKindle本の20%ポイント還元セールを行っているので、もしも気になってしまったなら今買っておくのがよいだろう)

 

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物書きクラスタ向けに俺のオススメの執筆環境を提案するぜ!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今日はなろう小説を書いているキミ、そしてKDPで活躍しているキミへ送るベストエントリにしようと思ってこの記事を書いていたりする。

 そう、ズバリ、物書きクラスタが導入するべき、無料、もしくは有料だけど入れておきたい物は何があるのかという事に関して煮詰めに煮詰めていこうということなのである。煮詰めすぎてクレアおばさんが登場しそうな感じもするが、そろそろ味も良くなってきたと思うので、この辺で皆へと振る舞ってみることにしよう。

 

 さて、前置きはこの辺で、ズバリ物書きクラスタが導入するべき物は何なのか。説明していこうじゃ無いか。

 

分類としてはこんな所だろう

 まずは、導入するべき物を大まかに分類しておこう。

 

  • クラウドストレージ
  • IMEソフトウェア
  • テキストエディタ

 

 ひとまずはこの三種類あれば、なんとかなるだろう。いきなり「クラウドストーレージ」とか「IME」とかいう言葉が出てきて面食らった人もいるかもしれないが、それについても解説していくので、ひとまずは、「そんな物があったら便利なんだな」程度に考えておいて欲しい。それでは、それぞれの分類に関して何が便利か解説していこう。

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一日は皆平等に24時間あるわけではない

 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミは当然しらないとは思うが、つい先日ブログを書いているつちだ氏がTwitter上でこんな発言をしていたのだ。

 俺はこれに関してかなり思うところがあり、これをテーマに記事を書いてみたくなったのである。

 ズバリ、「一日は二十四時間ではない」という頭のおかしいテーマなのではあるが、そこで笑っているキミ、ちょっと真面目になって俺の話を聞いて欲しい。

 ひょっとすると、一日は二十四時間ではないかもしれないぞ?

 さて、そんな無謀にも思える内容について

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キミはPrimeMusicを使いこなしているか?【俺のオススメ作業用音楽40曲】

 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミがAmazonのPrime会員なのかどうかは知らないけれど、もしもアマゾンプライムの会員なのであれば、PrimeMusicというものをしっかりと活用しているだろうか?

 確かにあのサービスは良い曲を探しにくい。

 というよりも、良い曲に限ってなかったりすることが多い。

 まだまだ残念なサービスなのだろう。

 そんなことからか、どうやらキミもPrimeビデオやプライムお急ぎ便は活用していても、PrimeMusicまではあんまり手が回っていないのでは無いだろうか?

 そこで、今回このエントリでは、俺がAmazonのPrimeMusicから非常に俺好みのきわどいオススメ作業用音楽を40曲ほど紹介していくつもりだ。

 もしも、まだスマートフォンにAmazonMusicのアプリをインストールしていないのであれば、まずはそこから始めてみて欲しい。

Amazon Music with Prime Music

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  • AMZN Mobile LLC
  • ミュージック
  • 無料

 

 それでは、俺のオススメのPrimeMusic40選。

 行ってみよう。ただ、趣味に合うかどうかは保証しかねる。

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ブログを始めてから五ヶ月がたったぞ!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 三日坊主で飽きるのかと思いきや、このブログはとうとう五ヶ月もの間続くことが出来ている。なぜこんなに飽きずに書き続ける事が出来ているのか、俺の事をよく知る人は疑問に思うかもしれないけれど、ひとえにそれは、キミ――即ち読者の反応があったからこそである。

 俺はその事に関して様々な人への感謝の気持ちでいっぱいなのだが、面と向かっては本音を喋ることが出来ない恥ずかしがり屋なので、今回はこのブログ記事で改めて感謝の意を表明させて頂きたいと思う。

 本当にありがとう。感謝してもしきれない。

 

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 さて、珍しく頭を基準値より下げたところでそろそろ、今後の俺のブログの事についてあれやこれやと話していこう。これから景虎日記をどうしていくのか、そしてこれから景虎はどうなっていくのかについてである。

 興味が無い方が大多数だとは思うが、もし俺のブログを好きでいてくれているのだとしたら、三分ばかりお付き合い願いたい。

 では、始めよう。

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俺ははてなブログ芸人になるべきなのだろうか?

 どうも。俺だ。景虎だ。

 つい先日、ニンジャになってみたの記事を書いて拡散したはいいものの、Twitterの障害によって全くといっていいほど反応がなく、落ち込んでいた景虎であったが、再びツイートしてみたところ、ニンジャスレイヤー公式アカウントからもRTされて、自分でも恐ろしくなるほど伸びに伸びていってしまったのである。

 

www.10kgtr.net

 そう、キミは既に知っているかもしれないが、このブログは一応テキスト系ブログであり、文章で読ませる形のブログという体裁をこれまでは保ってきた。

 しかし、このニンジャになった記事の伸びによって俺の中にムクムクと一つの考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えるようになっていったのである。

 

 それはなにか?

 ずばり、はてなブログ芸人になるかならざるかといった問題である。

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キミは筒井哲也の「予告犯」をもう読んでいるよね? えっまだなの?

 どうも。俺だ。景虎だ。

 今回はキミにどうしても尋ねたい事があってこの記事を書いている訳なのだが、キミは既に「予告犯」というマンガを読んだことがあるだろうか?

 筒井哲也という比較的グロめかつヘビーな題材を取り扱っている俺がオススメしたい漫画家の一人が書いた作品なのだが、少し前に映画化などもされ、海外での評価も非常に高まってきているらしいのである。

 で、尋ねるわけだが、キミは既に「筒井哲也」を知っていたかね?

 既に予告犯を読んでいたかね?

 えっ? まだ読んでない?

 それはいけない!

 今すぐに読まなくてはもったいない!

 

 という、若干茶番じみた書き出しになってしまったが、本当に面白い作品なので、今回は少しだけ真面目になって紹介していきたいと思う。

 

 準備はいいかね?

 

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洋画好きの俺が「吹き替え」にこだわる理由はこれだ!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 かなり前にも、はてなのトピックで字幕か吹き替えかの話題が勃発していたとは思うが、俺自身最近思うところがあったので、この議題について書いていこうと俺は思ったのだ。

 ずばり、洋画や海外テレビドラマは字幕派か、吹き替え派かという事に関してである!

 ああキミ、なんだ? その「クソどうでも良い」という顔は?

 確かに割とどうでもいい議題であることはこの俺もわかってはいるのだが、映画通っぽい人から「え、お前吹き替えで見てるの?」と煽られたからには、流石にこの俺様としてもキミに弁明しておく必要があるのだと思った次第なのである。

 それでは、始めよう。なぜ俺が吹き替えにこだわるのか教えてあげよう。

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書き手なら「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」を読むべきだ!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 俺は常日頃短いテキストで人の心をいかにつかめるかといった事ばかりを考えていた。なぜそんなことを考えていたかというとそれはひとえにキミをもっと面白がらせられるブログや文章を書きたいと思っていたからだ。

 キミ、俺の文章は伝わっているかね? 響いているかね?

 俺はキミの中に印象を残すことが出来ているだろうか?

 そんな自信のなさから手に取った本が今回タイトルに書いてあるこの「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」という本になるわけである。

 

名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方 (日経ビジネス文庫)

名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方 (日経ビジネス文庫)

 

 これが本当に勉強になった。よく駅や電車の中で見かけるような広告、その中にある短く、そして印象に残る言葉、コピー。実際にその現場に40年携わった作者が書いているだけあって、これは本当に役に立つ内容になっていた。

 特に、小説やブログなどを書いているキミには是非とも読んでもらわなくてはならない一冊になっているのである。

 それでは、そんな本書「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」について少しばかり紹介していくとしよう。

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どうやらまたTwitterで障害が起っているようだぞ。【2016/01/19 23時現在】

 どうも。俺だ。景虎だ。

 どうやら先日のバルスで耐えきったTwitterのサーバーが、SMAP×SMAPの騒動でつい先日落ち、そして今現在も繋がりにくい情況が続いているとのことである。

 SMAP×SMAPで落ちたのはつい先日だと聞いていたが、未だに障害が長引いているらしいのである。何度目の鯖落ちだろうか?

downdetector.jp

 俺は、悲しい。

 何が悲しいって?

 これを読み始めた初めましてのキミはわからないかもしれないが、折角とっておきのネタブログ記事をTwitterで紹介したのにもかかわらず、RTはおろかファボもされず、更にはアクセス数や反応もちっともおこらなかったからである。

 

www.10kgtr.net

 つい先日、自分の知り合いの絵師さんに対して「そりゃあバルス被せて同時にネタツイートしても伸びないよな……」と言っておきながらこの体たらくである。

 実に悲しい。

 悲しいが、たった一つ俺が学んだことがあったという事だけ、この記事では書いていこうと思っている。

 だから、キミもどうかこの話を聞いて欲しい。

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完全ニンジャマニュアル(01)を読んでニンジャになってみた

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 どうも。俺だ。景虎だ。

 キミは知らなかったかもしれないが、つい先日俺は「はてなブログ」のトップでこんな記事を見つけてしまったのだ。

ninjaheads.hatenablog.jp

 この記事を最後まで読み終わった俺は猛烈にニンジャになりたくて、なりたくて仕方がなくなってしまったのだ。

 なぜなりたくなってしまったのかをキミに説明するのはとてつもなく難しいことなので、省略するけれども、ともかく俺は、ネオサイタマの闇をハッケヨイするコワイニンジャになりたくて仕方がなくなってしまったのだ……。

 

だがしかし、

 

 残念な事に、俺はクソみたいなモータルだし、なおかつ吐き気がするほど貧乏で、前述したブログ記事にあるような素敵なニンジャ装束を購入することが出来なかったのだった。悲しい。貧乏は悲しい。

 ニンジャニすらなれないのか……。

 そう諦めきっていた俺だが、そんな俺の脳裏に一つの思いつかなくても良いはずの冴えた考えが浮かび上がったのだった!

 そう「もしかしたら家にあるものと、『フォトショ=ニンポ』を使えばニンジャになれるんじゃね?」という考えである。

 そんな考えをしなければ、こんな猛烈奇天烈な顛末へと落ちていく事はなかったのだと思うのだが、一先ず、ニンジャっぽくなれたので、このブログでそのロード・オブ・ニンジャへの記録を紹介していこうと思う。

 では、俺がニンジャになるまでの道程を見て欲しい。見るに堪えないけれど。

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肩書きや常識に固執するな!【メディアクリエイター否定派おっさんへ向けて】

 
 どうも。俺だ。景虎だ。
 どうやら、最近ブロガー達の新年会とやらが開催され、そこで「メディアクリエイター」という肩書きの是非についてが話題に上がっていたらしい。また、オッサンブロガー達が、「若者よ。夢を見過ぎるな常識を知れ」などと息巻いていたらしい。
 そもさん「なぜ俺はそんな楽しそうな会に呼ばれないのか?」といった痛切な疑問もあるものの、俺自身もその是非について色々と思うところがあり、あれこれ書かなくてもいいことを書いてみたくなったのである。
 だからこそ、今回はそんな「メディアクリエイター」という肩書きについてと、そもそもの肩書きや常識という物について、はたまた、これを考えるきっかけとなった記事について、キミが嫌だといっても書いてみたいと思うのである。
 
 
 いいだろうか? それでは、今日も言葉を武器にザクザクと切り込んでいくとしよう。
 
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そもそも他人の肩書きにこだわりだしたらオッサンである

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photo by Dunechaser

 

 

 さてと、キミの中にはあれこれと言い返したい気持ちが渦巻いているだろうが、きっぱり言い切っておくと、他人の肩書きなんてものにこだわりだしたら、そもそもオッサンなのである。
 
 肩書き――それは若者にとってみれば、己のクラスタをはっきりさせてより多くの人と繋がるためのコミュニケーションツールに過ぎず、「多くの人がそう名乗っているし、何だか格好良さそうだから」以外のなにでもないことが多い。
 いわば、Twitterのハッシュタグやプロフィールに載せるオマケのようなものな訳である。
 
 わらさー団に加入するのがただのファッションでしかなく、政治信条などがあってのことでないように、そういった大それた肩書きを名乗る事にも特に深い意味があってついている訳ではないと俺は思いたい。
 
(「いや、それが仮にカッコツケであったからと言って、何が悪いのだろう? ダサいと言っているおっさんどもはさぞかしカッコイイ生き方をしているんだろうな? 若者から憧れられる生き方をしているんだろうな? そうだよな? ええ?」と俺はすごんでみる。)
 
 しかし、オッサンにとっての肩書きは、ある種の社会的権威であったり、猿山の王なのか、それとも取り巻きなのか、ヒエラルキーにすら混ざれない底辺なのかといった己のステータスを示すものになっている気がしてならない。
 
 要するに猿である。
 人間ではなく猿になっているのである。
 
「お前、ボスザルじゃないのにボスザル名乗るのとかダサクね?」とかそういう事なのである。
 
 故に、肩書きや、己の半生をもって作り上げた大愚なる『常識』といったものに囚われて、自縄自縛の情況に自ら望んで陥っていっているのである。別に誰がどんな肩書きを名乗ろうと、キミ自身に不都合がないのにも関わらずである。
 
 少なくとも俺はそんな気がしてならない。
 
 半分おっさんに足をツッコみかけているから、俺も気を付けていかねばならないことではあるが、そんな些末なことに囚われていて、『本当にその人達は人生が楽しいのだろうか?』と俺は心底思ってやまないのである。
 

肩書きにこだわることは怖いことである

http://www.flickr.com/photos/125615321@N04/14843019969

photo by Julien.Belli

 肩書きという物が時に邪魔になるというのは、俺が常日頃思うことではあるが、その一方で「他人から与えられた肩書きはいくらでも欲しい」と思っている自分がいるのである。
 キミだってそうだろう。
 他の人から「スゴイ級ライターだ!」「アルファブロガーだ!」「足が臭いけど世界一素晴らしい父親だ」などと褒められたら嫌な気はしないだろう。しかし、罠はそこに潜んでいるのである。
 
 一つ目の怖さはそこだ。
 
 そういった承認欲求が行きすぎると、己の肩書きや、また他人と自分との肩書きとの差が気になって気になって仕方がなくなってしまうのである。それ故に自分に対して異様な程ハードルの高い肩書きを付けたり、「いや、その肩書きは不格好でしょ」なとといった嫌みを他人にぶつけるという変なことになってしまうわけである。
 前者はまだ可愛げがあるが、後者は本当にめんどくさい奴である。
 肩書きなどというものは自分で付ければ大概どれも不格好なものであるが、そこのところが全く判断が付かなくなってしまう訳なのである。
 
 コワイ!
 
 これは本当に恐ろしいことではあるが、人間誰もが一度は通る道なので、さっさと通過してしまってほしい。
 トンネルは意外なほど短いのでくぐり抜けてしまおう。
 
(「もし、そうでないのなら、自分も何も出来ていないくせに、他人の肩書きを笑っていじるクズである」と俺は再びすごんでみる)
 
 そして、二つ目の怖さは、自分の肩書きに固執するあまりに、自分のやることが縛られてしまうということである。
 特にこれは日本人によくある民族的性質で、それ故に多くの職人が生れているといったメリットもあったりはするのではあるが、どんなことでも行きすぎれば毒になるのである。
 
 どういった毒があるのか? それは簡単である。
 
 肩書きにそった行動を取らねばならぬと思ってしまうところである。
 
 例えば、小説家なら小説を書かねばならないし、音楽家なら音楽を作らなければならず、イラストレーターであればイラストを描かなくてはならず、他のことをしているのはちょっとどこかおかしいんじゃないかという話である。
 
 また、何もしていないのにその肩書きを名乗っているのは本当に正しいのかという所まで被害は及ぶだろう。
 
 かの偉大なる小説家スティーブン・キングが、作家仲間達とロックバンドを組んでいるというのは有名な話ではあるが、ホワイジャパニーズピーポーと厚切りジェイソンが言い始めかねないほどに、日本人はこうした肩書きをやっていなければ名乗っちゃいけない、名乗るからにはやってなきゃいけないというバイアスに縛られてしまっているのである。
 
 小説家が音楽を作ってみてもいいだろうし、普段サラリーマンをやっていて趣味がブログな人が絵を描いてみるのも別にいいことだろう。
 何をやっても名乗っても問題がないはずなのだが、ブロガーを名乗るとブログを書かなくてはいけないような気がするし、小説家と書くと小説を書かなくてはいけないような気がしてしまう。
 
 そしてライターと名乗ると仕事の原稿をそろそろ真面目に書いてお金を稼がないと死んでしまうような気がしてしまうのである。
 
 逆に何もしていないなら何も名乗っては行けないという風になってしまうのである。
 
 一つだけは比較的真実が混じっていたような気もするが、要するに肩書きによって、自分のチャンスの目を潰してしまうからこそ、肩書きという物に固執するのは恐ろしいということなのである。
 
 そう、考えると若者がメディアクリエイターという肩書きを好んで使うのもある意味納得できるような気がするのである。
 
 絵も描きたいし、小説も書きたいし、音楽も作りたいし、ブログも運営してみたい。恋愛もしてみたいし、友達も沢山欲しい。そして何よりクリエイターとして一流だと認められたい。
 
 その為に色々なことをやってみたい。非常に良いことなのではないだろうか?
 これは当然若者だけに限らないことではないだろうか?
 まかり間違っても、「俺はブログしか書いてはいけないんだ」と訳のわからぬバイアスを自分にかけている人や、「何もしていないくせにメディアクリエイター名乗るとか無様ー」と笑っている人よりかは幾分立派だと俺は思うのである。
(まぁ、目標や名乗った肩書きがデカければデカいほど、越えるのは難しいというのだけは本当だろう)
 
 さて、ここまで語れば肩書きにこだわることの怖さがわかっていただけたと思う。そして、他人の肩書きを馬鹿にする事がいかに浅ましいことかもわかっていただけたと思う。
 今日からキミは何でもやっていい人だ。
 何もやっていない人であってもいい。
 職業はライターや小説家やブロガーやサラリーマンだったりするかもしれないが、キミ自身はそういった自分が自分につけたタグに縛られずに行動していいのだ。何でもやっていい人である事を忘れないで欲しい。
 そして、必ずしも何かをやらなくてはいけない訳ではない。
 何もしていないと言われることを怖れて鬱病になるような奴になってはいけない!(俺の事である)
 要するに、キミもハイパーメディアクリエイターなのである。
 だからこそ、誇り高く叫べ。そして己が行動で、天を揺らし、民衆を黙らせろ。
 最後にそれが出来るのは「やった奴」だけになるのだから。
 ゆっくりでもいいのだ。他人に馬鹿にされようと気にしてはいけない。
 

常識にとらわれることは心底馬鹿らしい

 
 次は常識にとらわれることの馬鹿らしさについて書いていこう。
「常識にとらわれることはよくない」「常識にとらわれるな」などと書くと、意識高い系の標語のように思えてしまうが、俺はこれが一番大切なことだと思っているのである。
 なぜなら、キミが「常識」「世間」「一般」などといった言葉を使って話したり、書いたりしている「価値観」は、ほとんどの場合個人的なバイアスがかかっているからである。
 
 わかりやすいように一つのたとえをだそう。
 キミはこんな言葉を聞いたことがないだろうか?
 
「だってみんな持ってるよ?」という言葉である。
 
 これは小学生や中学生などが、親に物をねだるときに使う決まり文句のようなものではあるが、ここでいう「みんな」とは一体だれなのか、そもそも統計的なデータと照らし合わせてみて本当に「みんな」が持っているのだろうか、「みんな」が持っているからなんだというのか、というツッコミどころ満載な言葉でありながら意外に効果があるのである。
 なぜなら、逐一「みんな」がどの範囲に収まる人達なのか調べるのは面倒くさいし、統計的データを取るのも難しい上、「それをみんなと同じにすること」 が「どうして必要なのか」を導き出す位なら、お財布と相談してYESとNOで答えてしまった方が手っ取り早いからである。
 
 この言葉を聞いて、キミは微笑ましく感じたかもしれないが、今一度鏡で自分の顔を見返して頂きたい。
 
 これと同じ事をいい大人がしていないだろうか?
 
 いや、正しく言うならば、いい大人の多くがこの小学生、中学生レベルのことを未だに続けているのである。
 
「キミ、もう少し現実みた方がいいよ」「常識的にいって無理でしょ?」「一般的にはこうでしょ」「世間ではそうなんだよ」と、これに似たような言葉を若者や他人に投げかけた事があるのだとしたら本当に注意して欲しい。俺も時々やってしまう事があるが、本当に良くない癖である。
 そう、それは、「単にキミにとってそうだっただけで、常識だと思っていないか?」ということなのである。
 
 皆が常識に縛られていたら、未だに地球は平面なままかもしれないし、地球の周りを様々な天体が回っているという天動説な世界かも知れない。
 これはちょっと壮大になりすぎたかもしれないが、身近なところで言えば「何も言わずに努力している人が成功しているんだよ」だったり、「大きな肩書きを自分で名乗る奴は成功しないよ」だとか、「オウンドメディアで有名になるとか無理だよ」とか「デカいことやろうぜとか無理だしダサいよ」そういったものである。
 こうした常識や一般論とされるものは、大概「個人のバイアスがかかった一意見」に過ぎず、ツッコミどころ満載な上に、なんの裏付けも無いのである。出来ないなら証拠を出せ。データを出せ。
 
 いい大人ぶるな!
 
 そう、「だってみんな持ってるよ?」と小中学生が言うのと同じレベルなのである。
 まずは、自分の常識を疑うところから初めて、そして裏付けとなるデータを用意するというのがスマートな大人なのである。
 
 俺も、多分まだまだ出来てはいないのだが……年内までには体得しておこう。
 
 

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 さてと、色々と可燃性の高い上にまとまりの無い文章を投下してしまったような気もするが、俺が言いたいのは「固執するな。鏡を見ろ」という事である。これに関して自分が出来ているかどうか本当に怪しいものだが、少なくとも良くない物が口から飛び出そうになったり、自分が何かにとらわれていて幸せになれていないと感じたときは、「固執するな! 鏡を見ろ!」と高らかに宣言することにしているのである。
 
 また、俺は「KDPで1万部売る!」だったり「小説家になろうで書籍する!」だったり「ブログで最低月間40PVは越える!」だったりと無謀過ぎるナニサマ中二病発言をしている割には、何もしていないと確実に思われている人なのだが、他人からそれを馬鹿にされようと気にしていないのである。
 馬鹿にすること自体が非常に馬鹿げている事だと思ってやまない上に、俺がそれを出来ないという証拠を出された試しがないからである。
 そう、人生というものの締め切りは死んでしまうその瞬間以外にないのだから、どんな尊大なことを言ってしまってもいいじゃないか。結果は後から出せばいい。うるさい奴は黙らせてしまえ。
 
 人間みな中二病。
 
 そして、そんな中二病こそが、いつかはこの世界を面白くしてくれると信じて――
 
 キミも誇りを持って「メディアクリエイター」を名乗ればいいと思ってやまない。
 
 俺は中二病という肩書きを名乗り続けるけどな。
 
 そして、オッサンになりゆくものよ。
 
 そんな馬鹿者達をどうか、温かい目で見守って欲しいものである。
 
 無様に見えるのかもしれないが、それは誰もが通る道である。
 
 では、失敬。
 
 

 

必ず結果がでるブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える

必ず結果がでるブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える"俺メディア"の極意

 

 (メディアクリエイターもといブロガーになるなら多分この本オススメでっせ。基礎の基礎から意外に知らないテクニックまでと非常に濃ゆい本である。勉強になった! 景虎もこれを実践するよ!)

 
(『メディアクリエイター否定派おっさん』の記事を漁っていてスゴイ熱い物を見つけてしまった。俺もこんなカッコよく、熱いオッサンになりたいと思う。シロクマさん格好良すぎでっせ。俺はまだまだ青いなぁ。蒙古斑が残ってるよ……多分)

 

 
 

物書きならカフェを見つける楽しみくらい知っておけ!

 どうも。俺だ。景虎だ。

 どうだろうか、最近執筆の調子は進んでいるだろうか?

 もしも、キミが何かテキストを書いている人で、何か煮詰まっていてうまく原稿がかけないでいるのだとしたら、個人的にはオシャレなカフェへと繰り出して気分を変えてみることをオススメしたい。

 無論、スターバックスに行くのも良いが、最近ではめっきり意識高い系の代名詞となっているような気もするし、また近頃では女子高生なども普通に入ってくることがかなり多く正直なところあんまり、心地の良い場所ではなくなってきているというのが、現実というものだろう。

 そこで、この記事で提案させていただくのは、そんな居心地の悪いスターバックス以外のお店で、気軽に入れて心地の良いお店はどこにあるのかという事についてである。

 いや、と言ってもこの俺自身の活動範囲が決して広いわけではないから、実際の店舗名を紹介したところでそこに行けるとは限らないだろう。

 そこで、ここでは、実際の店舗名ではなく、自分にとっての良いカフェの見つけ方というものを紹介していこうと思う。

 勿論これは、胡散臭いライターが書いているインチキまがいの判断基準であるから、あまり真に受けてもらってはこまるが、少なくとも少しばかりは、自宅でしか書いたことのない人にとって、判断の助けになるのではないかと思っている。

 それでは、カフェ探しの楽しさについてまずは語っていくとしよう。

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