一日は皆平等に24時間あるわけではない
どうも。俺だ。景虎だ。
キミは当然しらないとは思うが、つい先日ブログを書いているつちだ氏がTwitter上でこんな発言をしていたのだ。
金持ちの1日は240時間あるのを、知られないように隠してると思います https://t.co/gJsR6c8Qz2
— つちだ (@cloudsalon) 2016, 1月 21
俺はこれに関してかなり思うところがあり、これをテーマに記事を書いてみたくなったのである。
ズバリ、「一日は二十四時間ではない」という頭のおかしいテーマなのではあるが、そこで笑っているキミ、ちょっと真面目になって俺の話を聞いて欲しい。
ひょっとすると、一日は二十四時間ではないかもしれないぞ?
さて、そんな無謀にも思える内容について
一日は本当に二十四時間だろうか?
「一日は本当に二十四時間なのだろうか?」という問いを理系の人に投げたなら「いや、厳密には~」と長ったらしい講釈が返ってきそうな気がするが、俺が疑問に思うのは勿論そういう事では無い。
当然、理屈上ではすべての人に平等に二十四時間という時間が与えられ、それを消化することによって、我々は文化だったり、産業だったり、サービスだったり、コンテンツだったりといったものを作り上げていったり、また消費活動を行っていったり、余暇を過したりとそれぞれ思うがままに生活を営んで行っているのだろう。
だが、それだとどうにも理屈に合わない事があるような気がしてならないのだ。
そう、なぜならこの世界には一日240時間を与えられている人が確実にごまんと存在するからなのである。
一日240時間を持っている人も当然いるという話
そう、おそらくは一日24時間ではなく、一日240時間を自分の時間として持っている人が当然ごろごろいるはずなのである。
キミは何を言っているのかさっぱりわからないかも知れないが、それは当然親や先生などから「一日は二十四時間しかないんだから大切に使いなさい」と教育を施されてきたことが原因なのだろう。
俺だってそうだった。
しかし、それは間違っていた。
たいしたことではないのだが、意外に誰もが気づかないでいることなのだろう。
どういうことかというと、自分の時間は一日二十四時間しかないが、他人の時間を自分の為に使えば、一日240時間を所有することも実に簡単に出来てしまうというもの凄く簡単な理屈なのである。
自分の時間が足りなければ、他人から八時間ずつもらってくればいいと、単純にそういう話だったのである。
自分の時間が24時間しか無いなら他人から奪えばいい
とてつもなくわかりやすい理屈である。
自分の時間が二十四時間しかないのであれば、他人の時間を使えばいい。
おそらく、様々なもので成功している人などは、この一見ゲスにも思えるこの世の真理を痛いほどはっきりと理解しているのだろう。
キミや俺が誰かの元で働くとき、そしてソーシャルゲームなどで遊んでいる時、SNSで楽しく会話をしている時、本を読むとき、映画を見るとき、意識はしていないかもしれないけれど、確実に自分が所有している時間というものは他人の物へと変わっていっている。
一日二十四時間しかないから有意義に使おうと毎日思っている人でも、それを気づかぬ間に十二時間以上他人に喜んで捧げ、そしてその時間を享受する人は、一日240時間以上の時間を所有し、それ以上に有意義に生活しているということなのだろう。
なんだか、考えれば考えるほどムカついてくる話である。
では、どうやって時間を増やすか?
さて、それでは、そうやって奪われまくって毛も残らなくなった俺やキミの時間をどうやって取り戻して行けばいいのかという肝心な話に入っていこう。
当然、俺は時間だけで無く、病気や書痴であるせいでお金もむしられまくっているから、人を雇ってみることは中々難しいだろう。キミだってそんな240時間を手に入れるほど人を雇えるお金は無いはずだ。
悲しいがそれは認めなくてはいけないことである。無論、イラストレーターさんに本の表紙のイラストを頼むと言った小さなレベルのことであれば出来るのかもしれないが、結局の所それを依頼するのにかかるお金を稼ぐことに、また時間をむしられてしまうのだろう。
では、どうすればいいのか?
キミや俺のような持たざる者がどのようにして時間を手に入れればいいのか?
そう、そろそろキミも気づいたことであろう。
時間を元手に時間を増やせばいい訳である。
時間を元手に時間を増やすという意味
お金が無いから時間を使い、そして時間が無いからお金を使いの悪循環に陥っているキミと俺は、まずは発想を変えて、時間によって時間を稼ぐところから始めてみなくてはいけないのだろう。
これがよく分からないという人は少し前に書いた「積み上げる物にこそ価値があると知れ」 のエントリや「たったの百円でも不労働所得は増やすべきである」のエントリを見て頂ければ実によく分かってくると思う。
要するに、「時間を消費して作り上げた物」で「時間を稼いでいけばいい」ということなのである!
もっと具体的に話していくとこういうことだ
ちょっと抽象的すぎてわかりづらかったかもしれないが、つまり「自分の時間を消費」して「ブログを書いたり」「KDPやブックウォーカーで自分の小説を売ったり」「Boothで音楽や絵などのコンテンツをデータ販売したり」といった「24時間働いてくれる自分の分身を作ればいい」という話なのである。
KDPとはAmazonの個人電子書籍販売サービスなのだが、これを利用すれば、自分のコンテンツという物が(稼ぎは悪いかもしれないが)24時間働いてくれるスタッフになってくれるだろう。
ブログに関しても、実に微々たる稼ぎの労働者かもしれないが、少なくとも自分が寝ている間も働いてくれる優秀なスタッフであることには変わりない。
勿論こうしたものは最初から成果が出るわけでは無いが、徐々に積み上がっていき、継続すればするほど自分に時間を与えてくれる優秀な人材となってくれることだろう!
一時期はYoutuberやアフィリエイターの事を何もしていない人なのでは無いかと、訝しく思っていたが、自分の分身を数多く作り出していると、そう考えてみると、すとんと腑に落ちた訳なのである。
あー俺も早くスタッフを沢山作らねば! 優秀なスタッフを作らねば!
キミも急げ! 早く、スタッフをいっぱい雇うのじゃ!
いや、急がなくてもいいが、リクルート活動は今日から始めた方がよさそうだぞ!
さてと、随分と当たり前のことを偉そうに、しかも理屈っぽく喋ってしまった気もするが、キミも時間が平等では無いという話に少なからず思いを馳せることが出来たのではないだろうか?
「あーそういえば、つい先日はお昼寝に5時間ほど時間をむしられてしまったなぁ」などと、セルフ時間むしりをしている人は、本当に心から反省して欲しいものである。
(鏡を見ながら自分に言い聞かせる景虎)
そう、時間は有限である。
しかし、増やしていくことは出来る。
時間を使って時間は増やすことが出来るのである。
だから、キミもブログを書いたり、動画を作ったり、電子書籍を売ってみたり、デジタル同人をやってみたりと、最初は大変かもしれないけれど、少しずつでもいいから優秀な自分の分身を増やして行くといいだろう。
俺もそうやって、いつかは一日240時間位は持ってみたいものである。
では、失敬。
(ちなみにつちださんのブログはこちらですぞ)