積み上げていける物にこそ価値があると知れ!
どうも。俺だ。景虎だ。
今日は常日頃俺が考えていること、思っていることについて書いていこうと考えている。それがこの「積み上げていく物にこそ価値がある」である。
恐らくキミはこの話に同意しかねる部分があるかもしれないし、全くもって共感出来ない気持ちでいるかもしれないが、まぁ、ひとまず聞きたまえよ。
さて、それでは始めよう。「積み上げていける物にこそ価値がある」とはどのような意味なのかについて説明していこうと思う。
流れていくもの消費するものに時間を費やしすぎるな
俺は常に自問自答している。
「これははたしてこれは積み上げていけるものか?」と。それは、「流れていくもの消費するものに時間やお金を費やしすぎるな」という俺自身への戒めの言葉でもあるのだ。
流れて消えていってしまうもの、消費して消えていってしまうものに時間やお金をかけ過ぎるのはやめよう。決してかけてはいけないわけではないけれど、かけ過ぎるのはよくない。意味がわかるだろうか?
具体例を上げよう。例えばそれはソーシャルゲームがそれだ。俺は白猫プロジェクトやら、ゴシックは魔法乙女などといったソーシャルゲームをプレイしているなんとも、軟弱な職業ライターな訳だが、これに関していつも、やり過ぎないようにと自分自身を戒めているのである。
こういったゲームにおけるステータスやスコアと言ったものは一見積み上がっているように思える物の実のところただ単に消費者としてその享楽を享受しているに過ぎず、一度ゲームを閉じてふと周りを見渡してみたところで、自分の実生活に何の益をもたらしてくれているのか定かでは無い。
勿論、ソーシャル(社交的な)ゲームというからには、そのゲームをプレイすることによってはぐくまれる友好といった副産物もあるにはあるだろう。しかし、それだけである。自動販売機のように設置していれば、自分が働いていなかったとしても益をもたらしてくれるようなものでは無いという事なのである。
そう、これはひとえにソーシャルゲームだけでなくツイッターなどもそうだろう。最近俺はツイッターをやり過ぎているから、人のことをとやかくは言えないが、このツイッターというものもただただ流れていく楽しいものであって、積み上がっていく有益なものであるとは中々言い辛いのだと思う。
こういった、消費するものや流れていくものに時間やお金を費やしてばかりいると、全くと言っていいほど自分の資産という物が増えていかない。これは単なるお金の問題では無く、自分を助けてくれる物が、自分の生活を支えてくれる物が育っていかないというそう言う意味なのである。
積み上がる物とはなんなのか?
では、そういったものではない――つまり積み上がっていく物とはなんなのかについて説明していこうと思う。それは例えば、今俺がこうして書いているブログなどがそうであったりする。
このブログという奴は記事を書いて放置しておくだけでも、一日に数千人の人を運んできてくれるのだ。それによって微々たる物だが広告収入も発生する訳だし、一度書いた記事という物は様々な人の役に立ち、それによって自分にとっても広告代以上に価値があるものを届けてくれる物に相違ない。
特に友達という物がこれっぽっちも存在しなかったこの俺が、なんということだろうか、最近は沢山の人とお話しているのである。これは誠に驚くべきことである。
ずばり、はてなブログという物がまさにその積み上がるものであるという訳である。
そして、作品を公開していくという事も一つの積み上がることだろうと俺は思っている。自らが書いた小説や、絵、はたまたマンガなどというものは、公開する事によって自らの資産として積み上がっていく。それはKDPやなろう小説、はたまたカクヨムといった公開の仕方の違いはあるものの、まさに自分の資産として積み上がっている物だろう。
多くの読者へと、その作品が届けば、それはきっと素晴らしい未来をキミにもたらすだろう。俺はそれを心の底から信じているし、だからこそ、今現在のライター稼業と並行して一見無謀にも思える試みに数多く挑戦していっている訳なのである。
また、読書というものもそうなのだろう。自らの中に知識を蓄え、何かを判断したり、決断したりする際の大きな材料となってくれる。本、それは最も偉大なる積み上げていけるものなのだろう。それは、決して読まずに床に積んでいくという意味では無い。まかり間違ってもそう言う意味では無い。心の本棚に積み上げてこそ、その本来の力というものは発揮されていくということなのである。
まとめ
さて、長くはなってしまったが、要するに、何か物事をやってみる上で、またやり続けていく上で、その物事が自分の人生において積み上がっていく物なのかどうか今一度考えてみて欲しいと俺は言いたいのである。
確かにモンハンは楽しい。だが、それはおそらく交友関係以外のものを生み出さないであろう。やり過ぎは禁物である。ソーシャルゲームもそうだろう。正直に話すと、ソーシャルゲームのお陰で俺は沢山の人とふれ合う事になり、それを喜んでいたりもするのだが、それは本質的に積み上がっていくものでは無い。
自分の人生において積み上げていく物とは、まさに言葉であり、この言葉によってのみ俺の値段も付かないような人生の物語が、値千金の価値に化けて変わると、俺は半ば狂信的に信じているのである。
キミも今日から考えてみて欲しい。キミがやっていることは、キミの人生に積み上がっていく物だろうか?
では、失敬。
@taito8842 やっぱり自分の書きたい物を書いていける作家になるためには、読者に読んでもらえる作家にまずならないといけないと思い始めてですね。まぁ、そういう中二病患者的な野望もありますが、どうぞご期待下さい!
— 天王丸景虎🐯@メタバース虎人間 (@10kgtr) 2015年12月28日