鬱病になって初めてわかったこと
どうも。俺だ。景虎だ。
血痰と全身の倦怠感
小説が読めないという絶望
photo by Sunchild57 Photography.
これは、もう筆舌に尽くしがたいほどの絶望だった。
文字を見てものっぺりとしていて、まるで一枚の絵画か何かをぼんやりと眺めているような気分にさせられるのである。
文字が、見える。
文字が、読める。
しかし、文字の意味が頭に入ってこない。
全くもって意味がわからないという異常な状態になってしまったのである。
勿論、読むことはおろか、次第に書くことも出来なくなり、メール一本を送るのに数時間もかかると言った有様で、俺は本当にもうダメなんじゃ無いかと心底不安に呵まれていたのである。
俺は書くことしか脳が無い男であった。
読むことしか脳が無い男であった。
しかし、脳はというと今やそれを完全に拒否しており、俺はまさに文字通り能無しになってしまっていたのである。
そう、鬱病になってしまっていたのである。
それを知るのは、あまりにも体が変だからと精密検査を受けた事によるものだ。問診の先生が厳かに「色々と悪いところもあるけれど、間違いなく過労と鬱病だね」とそう告げたのであった。
俺は、全くもって顔からは生気が失われていたが、怪しげな顔で笑っていたように思う。そう、それがある種のジョークのように感じたからだった。
なぜ今更鬱病になったのか?
そう。なぜ今更鬱病になったのかという事に関して俺は笑ったのである。
なぜ、同級生から虐められていたあの辛かった時期に、友達がいなくて辛かった大学の時期に、そしてライターとなり仕事が上手くこなせず苦しんでいた時期に、色々と商売を始め最初は上手く行っていたものの段々と伸び悩んでいた時期に、そして、自分が大昔から好きだった先輩が亡くなってしまったその時に、一切鬱病にならずに――なぜ今、こんなにも熱意に満ちあふれており、将来の希望と、無謀すぎる野心に満ち満ちているこんな時に限って鬱病になるのかという事に関して笑ったのである。
これは本当にジョークである。
神様から俺に当てられた何らかのつまらないジョークに違いない。
笑えない。けれど俺は顔を引きつらせながら生気の無い笑い声を上げたのである。
という訳で、俺は大して辛い体験があったわけでも無く鬱病になり、そして頭は思考すらまともにできず、原稿はもちろんの事かけず、仕事は全くと言って良いほどこなせず、小説もほとんど書き進められずといった生活へと突入して行くことになったのであった。
俺はその地獄の生活の中でずっとずっと考えていた。
申し訳ない。申し訳ない。申し訳ないとずっとずっと頭の中でその言葉を繰り返していたのだった。誰に対して? 勿論いるかどうかも怪しい俺の読者、仕事を待って頂いている方、俺の活躍を楽しみにしていてくれているであろうキミに対してである。
まったく、馬鹿馬鹿しいと思うのだが、俺自身はなぜか「申し訳ない申し訳ない」と布団の中で亀のようになりながらも、ずっと謝っていたのだった。
まさに鬱病である。
情けないが、鬱病になると「ごめんなさい」が止らなくなるようなのである。
鬱病になってつらかったこと
結局三ヶ月近くかかって鬱病であることがわかり、それからはお薬と養生による治療が始まった訳なのだが、俺はどうにもじっとしていられない性分なのである。
もう辛くて辛くて辛い。何もしていないというその事実が辛くて辛くて仕方が無いのである。こうしている間に、キミは景虎の活躍を今か今かと待ち続けているだろうし、お仕事の原稿は「早く書いてよバカー」とやたらツインテールが似合いそうな声で話しかけてくるわけである。
どげんかせんとあかん。でも、俺は何も出来なくて、ただただ布団の中で丸くなっていた。どうやら、症状には振り子のように波があるらしく、少しよくなっている時には気晴らしに文章を書いたりツイッターをやったりし、それ以外はほとんど布団の中にいる生活が続いていたのだった。
俺の燃えたぎるような野心はというと、やっぱりむくむくとふくれあがるばかりで、どうやらこんなクソの役にも立たない生活から逃げ出したいと思っているらしかったが、脳はまるで動かず、やろうと思って立ち上がると、ダメだと結論がはじき出され、ベットの中へと吸い込まれてしまうのであった。
もう、辛いことばかりである。俺は人の役に立てないという事が一番辛いのに、まさに今この情況こそがそれであり、俺は絶望を己が体の中に蓄えながらただ、ひたすら眠っていたのであった。
鬱病になってわかったこと
photo by James Cao | Studiosushi™
しかし、勿論鬱になるのは悪いことばかりでも無かったと言えるだろう。それはゆっくり休めるからといった一般的な理由では無く、ただ、一つの気づきを俺に与えてくれたという物であった。
それは、自分などと言うものが実際問題どこにも存在していないという事である。
ほとんどの人が自分、つまりは自我という物が脳みその中につまっており、自分というものは脳みそにいると考えているのかもしれないが、鬱病になってみて、それが大いに間違っていると思い知らされたのである。
脳は自分とは全く違った生き物で、自分では無い。自分はこんなにも何かがやりたい、人の役に立ちたい、人の自分のテキストを届けたいと望んでいるのにも関わらず、脳はそれを全部却下し、のしを付けて返す有様だったからである。
では、自分とは何かと考えたときに、かえってきた仮説は「それは言葉こそがそれである」というものである。人は何かを考える時に内言という物を用いるが、その内言のなかにこそ、ある種の仮想的自分が存在しており、それは脳の中では無く、実際問題それによって生起されるテクストの中にあるのではないかと考え始めてしまったわけである。
そう、鬱病で暇すぎて、そんなことを考えることしか出来なかったというのが正確なところではあるが、そういったこれまでの俺ではたどり着かなかったであろう、様々な思考へと俺はこの鬱病を通じてたどり着く事が出来たのである。
きっとこの病の辛さは、実際になってみないとわからないだろう。そして、脳という物がまるで自分の思いのままに出来ないものであると、この病にかからなければ生涯気づく事がなかったのであろう。
そう考えると、ほんのちょっとだけ、他の人より得した気分にはなれるのだった。
お金ががりがりと削れていく恐怖
photo by free pictures of money
しかし、勿論病気である。得する事などそんなにありはしないだろう。医療費でがりがりとお金は削れていくし、働けないから当然お金はがりがりと削れていく。貯金を切り崩し切り崩し何とかその日を凌いでいたはいいものの、それもそこを尽き、症状は何とか快方へと向かってきているものの、もう、財布の方はすっからかんといってもいいくらいなのである。
そんな恐怖を抱きながらも、徐々に自らの燃えたぎり続けていた野心という物が少しずつ、動かせる物になってくると、俺の中に漸く安心という物が戻ってきたのであった。
仕事もスローペースではあるもののこなせるようになっていき、そして趣味の原稿も少しずつではあるもののかけるようになってきている。本も読める。本当によかった。
そう思える場所へと漸く戻って来れたわけである。お金は全くと言って良いほどないけれど、それはそれ、これはこれだ。
生活という物を心配できるだけの脳が戻ってきて、そしてそれを恐怖出来るだけの心の余裕が生れてきて、本当によかったと思っている訳である。
まとめ
さてと、何度も繰り返すようで悪いが、未だに本調子だとは言いがたい。それでも、大きな気づきとともに、病の方も徐々に良くなっていっており、なろうの小説やKDPの小説、そして仕事の原稿などもボチボチ出来るようになっていっている所なのである。
そして勿論ブログも、「文章に非常に粗が目立つ物の」ひとまず書けるという段階までは戻って来れたわけである。
色々と大変なこともあったが、こうした気づきを得て、俺の燃えるだけだった野心は、今静かに青い火を放つようになってきている。
ただただ無謀に挑むだけの野心では無く、明確に自分の使命として感じられる野心の火がそこに燃えていたのである。
そんなアオイホノウの次回作に、どうか期待しておいて欲しい。
様々な作品を書いていくので、是非読んで感想を聞かせて欲しい。
それが今の俺にとっての最良の薬となりそうなのである。
良い評価も悪い評価もまるっと受け止める自信がある。
ただ言葉を聞かせて欲しい。
その為に、キミの中に印象を残すだけの作品を書いていこうと思っているのである。
ただ、俺の実力で、それが果たして出来ることなのか、実際問題あまり自信はないのだけれど、まぁ、期待はしてくれてもいい。
きっと、俺が世界を変えてやるから、見ていたまえよ。キミ。
時間はかかるかもしれないが、期待はしてくれてもいい。
では、失敬。
これみて勉強したよ。卵納豆ご飯食べまくってるぞ。
あと関係ないけど、これ面白かったゾ!