景虎日記

無駄な考え、無駄なあがき、無駄な偏愛と偏見による電子書籍とWeb小説、その他もろもろの記述。

なぜ俺が小説家になろうでなかなか小説を公開できないでいるのか?

 どうも。俺だ。景虎だ。

 唐突ですまないが、キミは石川啄木を知っているか?

 石川啄木は明治19年の詩人であり、偉大な歌人だ。その生涯を通じて素晴らしい作品を残し続けてきた彼だが、借金王としても有名で、二十歳の時には米屋の太田駒吉という人物に、借金に関して「一言も言い訳できません」という手紙を残していたそうだ。

 しかし、肝心なこの「一言も言い訳できない」と書いてある手紙だが、その文言のあとには「やたらと長い言い訳」が書いてあったらしい。「言い訳が出来ない」と言ってからの華麗なる言い訳の連続は、さすが文豪と言わざるを得ない見事な筆さばきだと、この俺も一目置いているのである。

 つまり、何が言いたいかというと、俺も石川啄木を見習って、「小説家になろうで小説をなかなか公開できないでいるということ」に関しては、一言も言い訳をしないでおこうと心に誓ったのだということだ。この誓いは、男女の契りよりも重い。キミが「ブログ書いてないで小説書けばいいんじゃない?」と辛らつな意見を浴びせようと、この俺の確固たる意志は揺らがないのである。

 もちろん、言い訳をするつもりはさらさらない。

 

だがしかしね。俺だってやりたいんだよ。

 俺だってやりたい。俺だって書きたい。俺だってさ。やりたいんだよ。色々とやりたいことが多すぎるのが悪いことだってことは、俺にだってすっかりわかっているんだよ。完全に完璧に、QEDしているさ、事件解決だ、犯人は俺で、凶器はバールだ。そんなことははっきりしているのだ。むしゃくしゃしてやったに決まっている。

 だがしかしね。そんなばっちりわかりきっていながらも、なかなか始めだせないのはしっかりと理由があるのだ。そう。三つばかし困ったことになっているんだ。聞いてくれ。これは言い訳じゃない。相談だからね。いいかねキミ? 言い訳なんて俺はできない人間なんだから。そういう体になってしまったのだから。

 

困ったこと1「使い方がわからない」

 そうなんだ。小説家になろうのUIがいまいち俺の中ではしっくり来なかったのである。特にいまだにしっくり来ていないのは「連載をどうやってやればいいのか?」「目次はどうやって作ればいいのか?」「画像をどうやっていれるのか?」「赤ちゃんはどこから来るのか?」「果たして俺は結婚できるのか?」「もう、26歳になるのに相変わらず落ち着きがない」「生きているのが恥ずかしい」の三つだ。

 もしも、三つ以上見えたとしたら、きっとそれは目の錯覚だが、そんなこと別に重要じゃない。俺は結婚できなくても一向にかまわないし、落ち着いてなんていられるか。だって、ネット名人様気取っているような男が、小説家になろう一つ使いこなせないのだぞぞぞぞ。どうして俺はこんな小学生も使っているものが使いこなせないのだだだだだ。これはもう、間違いなく「生きているのが恥ずかしい」と断言していいだろう。

 よし。ようやく一つだけしっくり来たという訳だ。「生きているのが恥ずかしい」だけは解決済だ。

 さて、話を戻そう。どうやれば目次を作れるのか。これが俺にはわからない。とりあえず、投稿してみればすべてがはっきりするのかもしれないが、規約などを読み込むとなぜか、「あんまり消さないでね! サーバーに負荷がかかっちゃうかんね!」となどと書かれており、これがまた俺の繊細な心を蝕むわけである。

 仮に俺が仮投稿して、「ハイハイ、これ間違えたよ。やめやめ!」と消してしまうや否や、小説家になろうのサーバーがダウン。こうなった暁にはもはや死んでお詫びするしかあるまい。「死んでお詫びしろ」と言われたら、「いいやそれじゃ足りないね!」とむざむざみじめに生きていくしかあるまいだろう。つまり現状維持でみじめさをさらに増量してしまうという話なのである。どうする。どうすればいいのだ?

 げほん。まぁいい。これは俺が頑張ればなんとかなる話である。もうしばし、小説家になろうの仕組みについて理解を深めようと思う。

 頑張れ。俺。そして世界よ俺に優しくあれ。

 

困ったこと2「面白い作品を読みすぎる」

 俺は激怒した。

 あまりにも面白い作品がありすぎる。

 人は、投稿サイトの小説など稚拙だといって聞かないが、探せばしっかりとあるわけである。俺好みの作品がそれはもう無限ともいえるほどにあるわけである。

 これすなわち読みすぎる。読みすぎるゆえに、いつまでたっても書く段階へと向かえないわけである。書けないわけではない。書く段階に向かえないのである。

 サトシのピカチュウはライチュウになれないのではない。まだライチュウになる段階へと向かえていないだけないという訳だ。それと概ね一緒である。

 俺はこうしてブログに駄文を書き連ねているし、駄文を繰り出し、波状攻撃で敵を追い詰め、対戦相手が恐怖にブルブルと震えたあたりになってようやく、「キミもなかなか強いね」と相手の強さを認めるという謙虚さとともに去っていくという、もはや折り紙付きといっていいほどの駄文士である。文士ではない。駄文士である。その道で俺の右に出る奴はいない。右に出るものがあれば、俺が左に回り込んでやるという所存である。

 しかし、こうもなぜ面白い物語をこのように無料で公開しているのか、彼らにとってそれは何の得があるのか。これはかの名作カイジにおける主人公カイジの名台詞「うんざりなんだよっ……!損だ得だ…… 金だ資産だ……… 」という奴なのだろうか。

 わからない。俺には。しかし、わかることもある。彼らはきっと、一切の本が売れなくなった後の世界でさえ、小説家でありつづけるだろうと。俺もそうありたい。そうなりたいと心底思っている。だがしかし、書く段階に向かうのはもう少し先の話になりそうでもある。少なくともこのブログを書き終えてからの話である。

 

困ったこと3「小説を書くのが難しい」

 これもなかなか難しい問題である。俺はそもそもライターの端くれでありながら、小説というものをあまり書かない。ほとんどがハウツー本であったり、WEBライティングであったり、はたまたエロゲーのシナリオだったりするわけである。そもすると、どうしようもなく字の文という奴がややこしいのである。

 もちろん俺は、太宰治や星新一などからスタートしてことごとく純文学というものを読破し、キノの旅やブギーポップシリーズから華麗にライトノベルの道へと転身した生粋の文学青年である。漫画も読む。映画も見る。それが本であれば、小説であれば一切合切区別せずに読む男である。

 だがしかし、書くとなると話は別である。

 まとめるとすると次のような感じなのである。

  • 俺には字の文が上手い事書けない。
  • 俺にはかわいい女の子が書けない。
  • そもそもかわいい女の子との出会いがない。
  • そして俺は頭がおかしい。
  • すなわち俺が書く女の子は頭のおかしい女の子になる。

 そう、俺は頭のおかしい女の子を書く達人であると気づかされた訳であるが、ほかの重要な部分の技術が欠けているということに気づかされた訳である。

 精進せねば。俺。そして、世界よ俺に優しい女の子をくれ。

 

まとめ

 結論を述べるなら、おそらくこれを読んでいるキミでさえうすうす気づいていると思うが、俺はいろいろなことに手を出しすぎなのだ。反省している。言い訳は一つもできない。そして、俺はまた、自分の書く作品について、最高を求めすぎているのだろう。恐らくはそんな技術の持ち合わせはどこにもないものの、理想の女性に出会うことができない悲しみを埋め合わせるために、作品というものに対して理想を求めすぎているのだろう。反省している。言い訳は一つもできない。

 そして、最も重要なことは、なんだかんだで、俺には書くことしかないということだ。俺は書くことが好きでも嫌いでもない。ただ、俺にはこれしかやろうと思うことがない。それはきっと、物を書くというものが職業として成立しなくなった後の世界でさえ同じだろう。

 きっと、俺は、なろうで上手くやっていくことが出来るのだろう。そう、使い方さえしっかりと理解し、読みだした作品のことを忘れ、自分のつたなさを許容できれば。

 なんども忠告するがこれは言い訳ではない。言い訳など一つもできないのだから。

 俺よ。言い訳せずに進め。今日を生きるように生きよ。笑え、己を嘲笑する人よりも大きな声で嘲け笑ってみせよ。俺よ。決して言い訳だけはするな今後一切。そして、

 絶望するな、では失敬。