今更ながらポケモンGOの本当の危険性について教えてやる
どうも。俺だ。景虎だ。
まぁ、最近はもう下火になってきているのだが、今更ながらポケモンGOに関するエントリを書いてみようと思う。
これを読み始めたキミは「えっ、もうポケモンGOよりシャドバでしょ」などと嫌らしい笑みを浮かべて俺のことを見ていそうな気もするが、流行に乗り遅れたからといって、文句を言いそびれたまま黙っているのはどうにも性に合わないので、どうか少しばかり時間を割いてこの話を聞いて頂きたいのである。
俺が今回キミに話したいと思っているのは、ずばり本当のポケモンGOの危険性についてである。
今では完全に下火に弱火といった具合で、もはやポリゴンの如くエンカウントすることのない事柄ではあるのだが、一時期は連日「危険だ危険だ」と報じられており、その度にものすごい違和感を感じていた人もいたことだろう。
キミもひょっとすると同じような違和感を感じていたしれないが、俺はおそらくはその数倍近く違和感を表明していたつもりである。
言葉にさえしていなかったが、エアプ勢による内容をよく把握せず繰り出される、「危険性」なるものを聞く度に「なんと浅ましいことだろうか」と任天堂本社の方角を見つめながら嘆いていたほどである。
そこで、今回キミには実際にポケモンGOのヘビーユーザーとして知られる俺こと天王丸景虎が、実際にプレイしている人として、超熟練ポケモンGOトレーナーとして、そのゲームの持つ危険性について今更ながら紹介していこうと思っている。
エアプレイのまま、なんとなくポケモンGOを批判していたキミは、出来ればこれを読んで、本当のポケモンGOの危険性と言えるものを学んで、安全にポケモンGOを楽しんで欲しいと思っている。
それでは、早速いってみよう!
目次
本当に危険なのは歩きスマホよりも転倒
実際にプレイしてみた人であればわかると思うのだが、ポケモンGOはポケモンが出たときにスマホがブルッと震えるので、歩きながらスマホを見るということはしなくてもよかったりするのである。
よく報道では歩きスマホの危険性だの、交通事故の危険性だのと報じているが、それは「自動車や自転車のよそ見運転が危険であること」「歩きスマホが危険であること」「よそ見して歩いたら危険である」と誰でも知っていることを言っているのに等しく、あらゆるものに普遍的に存在する危険性やマナーの問題について、ポケモンGOだからとやたらセンセーショナルに報じているに過ぎないのである。
実際俺は、歩きスマホではなく、歩き読書(文庫本)をして電柱にぶつかっていたりするのだが、今のところ報じられたりすることはなかったりするのである。
俺は自らの体験を元に歩き読書の危険性を必要以上に訴えかけているものの、マスコミが全くこれを報じないという事実にたいして、やたらとかんに障って仕方がないのだが、まぁ、それはこの際おいておこう。
では、そういった注意すれば防げる歩きスマホの他に、何が危険なのかという話を詳しくしていこうと思う。
それはつまるところ、転倒である。
これはポケモンGOの画面を見ているから転倒しやすいとかそういうことでは当然無い。
本を読んでいて転ぶことよりも、食べ歩きの旅をしていて、食欲に集中しすぎていて転ぶことよりも、ポケモンGOの画面を見ていて転ぶことの方が危険だということなのである。
スマートフォンによって片手がふさがっている状態で、ぬかるみなどで足を滑らせて転ぶことでもあるのだが、そのときにポケモンGOが画面に映っていたりすると非常に危険なのである。当然、画面にポケモンGOが映っていなくても、スマホの画面を見ていなくても転倒すると危険なのである。
実際に俺はポケモンGOとは全く関係が無く、スマホともまったく関係が無く、転倒してしまい、全身傷だらけになってしまったのだが、ポケモンGOのせいにされてしまっては困るから、転んだことは内緒にして、家に帰って消毒液を一人さみしく振りかけていたりしたのである。
転んだ事実が家族や知り合い、または同僚などに気づかれてしまったら――そう、実際問題これは危険なのである。
他人にポケモンGOのせいだと言われるという危険性があり、そして自業自得だと理不尽にも断定されるという危険性があるのである。
だから、もし実際にポケモンGOをやるときはズボンのポケットや胸ポケットなどにスマートフォンをいれておくというのは当然として、知人や家族にもそれをやっていることを明かしてはいけないのである。
もし、明かしてしまっているのであれば、絶対に転ばないように、転んでも絶対に内緒にしなくてはいけないのである。
当然、額から血が垂れていることを家族に指摘されても
「あ、これ? え、知らないの? これね、血液っていうんだよ?」などと意味不明な発言をすることによって事故や事件性を払拭することに心血を注がなくてはいけないのである。
さもないと絶対的にポケモンGOのせいにされてしまうことだろう。
気をつけよう!
本当に危険なのは熱中症である
正直言って、ポケモンGOの本質的な危険性は事故などではないと俺は熱弁しておきたい。
なぜか、毎回事故ばかりが報道されていたせいで、見落とされがちなのだが、実際問題、先輩とも言えるポケモントレーナー達の姿を見れば、ポケモンゲットにおけるもっとも気を使うべきポイントがはっきりとしているのである。
そう、重要なもの――それは帽子。つまりは熱中症対策である。
サトシも、ハルカも、セレナも、ヒカリも、ポケモントレーナーたるもの、しっかりと帽子をかぶり熱中症対策をしているわけである。これは単なるファッションではなく、生き死にの問題として帽子をかぶっているのであるということを俺は強弁するつもりでいるし、実際に俺は、ポケモントレーナーとしての帽子の大切さをわかっていなかったが為に熱中症で完全に死にかけたのである。
まぁ、冷静に考えれば、日頃外に出ない本の虫がいきなり一日に四〇キロも歩き始めれば、熱中症でなくても具合が悪くなってもおかしくない訳だが、歩きスマホや事故の危険性ばかりが騒がれていたこともあってか、自分も完全に熱中症の危険性が頭の外にGOしてしまっていたのである。
重ね重ね言うが帽子はファッションではなく、命を守るためにかぶっているのだということをポケモントレーナーたるもの忘れてはいけないぞ。
(ちなみにカスミやタケシは帽子をかぶっていないと言いたい人もいるかもしれないが、個人的な解釈では「ジムトレーナー」などとインドアキャラは帽子が無い説を提唱していきたいと思っている。正しいかどうかは謎である)
そして、仮に熱中症で倒れようものならば、知人から「ポケモンGOはやっぱり危ない」などとドヤ顔で言われてしまうわけである。テニスで熱中症になって具合が悪くなっていたことがある知人がここぞとばかりにドヤ顔で言ってくるわけである。
しつこいようだけどもう一度言おう。帽子はファッションではなく、命を守るためにかぶっているのだ。忘れてはならない。
そして、ドヤラーを許してはならない。
そもそも○○は危険である
そう、実のところポケモンGOに限らず、○○は常に危険なのである。
オスプレイは危険であるし、タバコも危険である。二十歳限定で飲酒も危険であり、老人の運転も危険なのである。
恋愛も当然危険である。それこそダメ絶対されるほど危険なのである。
生きるのも死ぬのも危険であるし、無論のこと人生も危険なのである。
あらゆる○○は危険であり、それこそ確実に安全な○○などというものはこの世界のどこを探しても存在しないというのが実のところ真理なのである。
では、なぜ「○○が危険である」とマスコミが報じないのか?
それは簡単な話である。
たとえば、自動車が危険であるのは、周知の事実ではあるのだが、実際に「車は危険だ」などと報じるのはかなり無謀すぎる行為だからなのである。
ひょっとするとキミは「自動車会社がスポンサーだから無理なのか?」などと考えたかもしれないがそれは事実ではない。無論一つの要因にはなり得るが本質ではないのである。
では、なぜ自動車を危険であると報じてはいけないのかというと、それは多くの人が自動車を使っており、それを危険だの反対だの言われたら――実に不愉快だからである。
考えてみて欲しい。
たとえばお酒というものは、液状の発がん性物質と言っても良いほど体に悪く、「酒は百薬の長」などと言い、さも体に良さそうな標語を貼り付けているものの、最近の研究では、益よりも害の方がすさまじいということがすっかりとわかりきっているわけである。
しかし、そんなお酒を「お酒はドラッグ。お酒は麻薬。お酒は猛毒。酒飲みはヤク中。お酒は危険」などと報道したり、触れてまわったりしたら大変なことになるだろう。
それこそ、今この文章を読んで既に不愉快に感じてしまった人もいるかもしれない。
なぜ、実際危険であったり害があるにも関わらず、報道したり、言ってはいけないのかというと、実際問題それが、実に不愉快であるからなのである。
裏返すと、不愉快でなければ、○○は危険であると報道したり、言ってもよく、さらにそれを「危険だ」と喧伝して回ることによって快感に感じる人が多ければ多いほど、それは率先して「危険だ」と報じ、言って回らねばならぬということになっているのである。
それこそ、他のもっと重要なニュースや情報などといったものよりも優先されるほど、それは重要なことだと思われている節すらあるのである。
もう一度言う。
危険だと言って不愉快な人が多数派であるものは危険だと言ってはならない。
危険だと言って愉快痛快な人が多数派であるものは危険だと言わなければならない。
そういったことが日常化していることを理解せずに生活していることこそが、この世界でもっとも危険なことなのである。
知らないモノは危険だし規制されるべきなのか?
人間が自動車を運転するのは危険だからやめようとは言ってはならないが、老人が運転していると危ないからやめろという話になる。
決してすべての車を自動運転にしようとはならないし、当人やその知人が運転する車が危険であってはならない。
そういった責任や危険性は自分とは違う世界にあるものであり、当人はその責任を問われない状況になくてはならないのである。
なぜなら責任を問われると不愉快だからである。
ポケモンGOは危険である不便である不用であると責められなくてはならない。
ドローンも。オスプレイも。
なぜなら、自分に関係なく、新しいものであり、それでわいわいやってる人がいるのが不愉快だからである。その新しさについていけないことに不安を覚え、それを解消したいと思うのもまさにそれである。
わざわざ、調べてそれがなんなのかを知る努力をするよりも、「そんなものを知る(やる)労力を割くのは馬鹿だ」と断じることの方が素晴らしいからである。そして、そういうものに飛びつく浅ましい人間を叩くのは非常に楽しく痛快極まりないことなので、絶対に叩かなくては、危険性を報じなくてはならない。
それは、自分にとって理解できないものであれば、あるほど危険であり、それを否定することは危険を野放しにし、被害者を出すことであり、その被害者の親族の感情を全く顧みない行為であるから、もうそれこそ必死になって危険性を報じ、叩き、殺し、楽しむしか無いのである。
だらかこそ、その危険に反対する人は鬼畜とされるわけである。
ここまでの話が、極端な話だと思った人もいるかもしれないが、それは今確かにある現実であり、まるでフィクションかなにかではないかと笑ってしまうような事実なのである。
実際に危険かどうかよりも、危険だといって叩きやすいコンテンツとして、あまりにも目立ちすぎるというのがポケモンGOの一番の危険性なのである。
これをここまで読んだ人の中には「でも本当に危険なのでは? 危険なものもあるでしょう?」と言ってやまない人もいるかもしれない。
それは当然あるだろう。
無論俺はなにか物事の危険性を報じること自体の有用性を完全に否定したりする気はさらさらない。
しかし、それが己の溜飲を下げるためのモノであってはいけないし、反論を許さないものであってもいけない。建設的でないものであってもいけないだろう。そして、それぞれの人のささやかなものを叩きつぶすような吐き気を催す邪悪であってもいけないだろう。
だからこそ、どうか、良識のあるキミがポケモンGOを通じて学んだその気持ちは、何かキミだけの大切な何かをやるときに学んだ気持ちは、他人にの何かに対しても同じよう作用して欲しいと説に願う。
それと、オモチャで遊ぶうちにオモチャにされないようにくれぐれも気をつけて欲しいものである。
では、失敬。
では、失敬。