自称知識人に異世界転生ものがヒットしている理由を教えてやろう!
どうも。俺だ。景虎だ。
今日は、あるブログエントリを読んで思うところがあったので、それについて至極個人的な見解を述べていこうと考えている。
ちなみに、書き始めるきっかけとなったエントリはこちらだ。
このエントリの内容を自分が理解した範囲で要約すると、「努力しないからこそウケる」というKawangoの意見に対して、増田が「いいや、異世界転生が自己投影しやすいからだ。Kawangoはコンテンツへの理解が浅い」といった感じに批判している内容なのである。
しかし、俺から言わせて貰えば、どちらも本質的なものを全く理解していないと言い切れる。
今回は両者が見落としている一点について、独断と偏見に満ちたこの俺様が、キミがウンウンと頷けるかもしれない形で語っていこうと考えている。
ズバリ、異世界転生ものが流行している本質的な理由はなんであるのか、自称知識人の為に、ここで全てを明らかにしてしんぜよう。
では、参ろうぞ!(喧嘩腰)
目次
努力人に感情移入出来ないという意見はズレている
まず手始めにことの発端となったカワンゴ氏の発言を一部、引用してみよう。
ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。
――恋人や能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人と能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。
そうです。今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学の世界でもそうなってきていると思います。http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html
彼はこのような発言をしていたらしいが、これは根本的にズレているのである。
なぜなら、読者の多くが現実世界において抱えている問題は、努力が出来る立派な人間になれないことではないからである。
だから、当然、「努力に対する気後れ」がヒットの理由ではないのである。
なぜそんなことが言えるかというと、全く努力をしていない人間は非常にマイノリティーであり、仮に今現在努力をしていなくても、やろうと思えば出来ると(実際に出来なかったとしても)心のそこでは思っている人が大多数を占めるはずだからである。
それを指し示すデータや根拠はないが、キミ自身「努力が出来ないから出来る主人公に気後れする」などと思ってはいやしないだろう。少なからず俺はそうである。
では、何故「努力を出来るのに努力する主人公に対して感情移入出来ない」ように見えてしまう現象が起きてしまうのだろうか?
それは単純な話である。努力をする意味がないからである。
努力しても報われないという現実からくる反感
要するに、「努力をしたところで世界は評価をしないだろう」「努力をしたところで、なにも得られるものはないだろう」「俺の能力は、この世界ではどうせ評価されないのだ」という現実世界に対する反感から感情移入が出来なくなるということなのである。
幾ら外見を磨く努力をしてみたところで、可愛い女の子にモテモテになるとは限らないし、幾ら筋トレをしても、勉強をしてみたところで、平凡な日常は何も変わったりしない。
また、場所を変えれば評価されるはずの能力があったとしても、現実世界では凡人の烙印を押されてしまうだろう。
つまり、努力をすることの快感は一切なく、自分が今までしてきた努力というものに対する肯定も一切ないというこの世界への反抗こそが、異世界転生ものという訳なのである。
転生した異世界では、現実世界では評価されないはずの自己の能力が劇的としか言いようがない形で、評価されることが多く、また多くの女性が言い寄ってきたりイチャついてきたりすることも、本質的には「自分が魅力的であるにも関わらず、現実世界では理解されない」というどうかしている妄想の裏返しだとも言えるだろう。
当然、そこまで思い上がっていなかったとしても「この世界でモテなくても、異世界ではモテモテになるかもしれない」というのは妄想としてはかなり普遍的かつ上質なものだと言えるだろう。
これが異世界転生ものが流行しているメカニズムの大部分であり、ヒットを生み出している本質的な理由だと言いたいわけである。
異世界では努力する意味がちゃんとある
更に付け加えると、異世界では努力する意味がちゃんとあるのである。
現実世界における努力の持つ退屈さや無為性といったものはそこにはなく、ちょっとした努力や工夫によってしっかりとリターンが返ってくるというのが異世界なのである。
ならばこそ、異世界に転生したいと考えるだろうし、現実世界の理想性を極限にまで突き詰めた「学園モノ」や「ギャルゲー」といったものよりも、その妄想の持つ魔力は特に若い人の中では数段上に位置すると言っていいのである。
ギャルゲーや学園モノを読んでも「自分自身にも同じことがあるかも」などと妄想するのは、現実世界の持つ残酷性が邪魔をして、かなり不快なものになってしまうだろうが、「異世界に転生すれば俺も同じようになれるかも」と妄想するのは、努力や自分に対する肯定性を伴った快感だけでなく、妄想としての妥当性もしっかりととれているというわけなのである。
異世界転生先の多くが、ゲームやRPGなどで多く用いられる世界観であるファンタジー世界となっていることもそれが理由なのである。
現実世界での成功体験や、努力が実った体験よりも、ゲーム内での成功体験や、努力が実った体験の方が妥当性があり、そして、もっとも感情移入しやすい快楽だからだという訳である。
増田は、「異世界転生が感情移入しやすいからだ」などといったふんわりとした意見を述べるだけだったが、本質的にはこうした自己承認欲求というものと、妄想の妥当性というものがヒットの裏にはあったのではないかという見方ができるわけなのである。
小説家になろうというコミュニティーの力によるところも大きいかもしれないけれどね。
これは他ジャンルにも共通して言えることだ
また、自分の意見に基づくと、異世界転生が持ちうる快楽と同等のものをタイムスリップSFというものも持っていると言える。
過去にタイムスリップするといった作品でいえば、「JIN -仁-」などといった大ヒットした作品もあるわけだが、これも一見平凡であったり、技術がありながらも現在という時代に生きているからこそ評価されない自己というものを肯定してくれる要素があると言えるわけである。
自分が過去にタイムスリップしたらどんな評価を受けるだろうか? そんな妄想をしたことがおそらくキミにもあるのではないだろうか?
自分が既に持っているものーー即ちこれまでしてきた努力というものが、先の時代の人間だということもあり、天才として持てはやされる訳である。
当然、現実世界ではそうではない。
幾ら努力をしたところで、「才能がない」だの「よくいる凡人」だのといった評価を下されることの方が多く、またそれの状況を改善するための努力もほとんどの場合が無為に終わる可能性が高いという訳である。
バカにしている人もいるが異世界転生だけに限ることではない
ここまで読んでみて、異世界転生ものやそういった欲求を満たしてくれるコンテンツに対して「バカバカしい」だの「幼稚だ」だの「自分とは関係ない」などと思った方もいるかもしれない。
キミもひょっとしたらそう思っているのかもしれないが、残念ながら近年公開された多くの作品やコンテンツには必ずと言ってもいいほどスパイスとして「現実の否定」「自分の肯定」「努力の報酬」といったものが含まれているのである。
異世界転生ものにかぎらず、海外から見た日本を賛美するテレビ番組もそうであるし、厚切りジェイソンが「WHY!」といった事に対して快感を覚えている人もそうである。海外という異世界では評価される、現実世界の否定が肯定されるという快感がある訳である。海外から見た日本などというものはまさにその典型例と言っていいだろう。
勿論、海外から見た日本でなくても、物語世界という異世界から見た現実世界の否定というものもありうる訳である。大ヒットを飛ばした半沢直樹などもその例に収まるだろう。
現実世界で倍返し出来る日本人が果たしてどれだけいるのだろうか?
いや、当然いないだろう。
だからこそ、物語世界へと異世界転生して溜飲を下げている訳である。
別にこれに関しては、多くの作品を上げる必要はないだろう。
何故なら、キミが心当たりがある一冊を本棚から取り出してくれば、それで終わる話だからである。
そして、何を隠そうこの俺様のこの景虎日記というブログも、狙いすまして世界を否定してかかり、キミと世界中の人々の下がらなくて困っている溜飲をサゲサゲ状態へと持っていこうとしている訳である。
当然、その効用を期待してのことであり、汚い確信犯であるという訳である。
残念ながら全くと言っていいほどに、まだ効果は薄いのではあるが。
如何だっただろうか?
ひょっとするとキミは異世界転生ものをバカバカしいと思っていた人の一人なのかもしれないが、このブログ記事を読んだ事によって少しだけ見方が変わったのではないだろうか?
基本的にコンテンツというものは、快楽を追求するものであり、そこに芸術的であるだとか、学術的に役立つだとか、下賤なものであるだとか、色々な評価を付け足してみたところで、根本にあるものは全く変わっていない訳なのである。
そして、その快楽というものは基本的に、現実世界においての抑圧から生じるものであり、俺が現実世界全然モテないからこそ、自分だけの空想のJKが欲しいなどと言い出すように、抑圧が解消されれば、また別の抑圧を解消しようとして、別の流行を作り出していくという訳なのである。
つまり、異世界転生ものにしろ、世界否定、自己肯定を快楽原理にしたものに関しては、景気が良くなり、そして、正当に努力が評価されるとその当人が思える世界になった暁には下火になるだろうし、逆に世界を否定しようとするテロリストと戦う感じの作品が流行るかもしれぬ。
無論、世界や未来に対する希望に満ち溢れてくれば、未来に対する思考の時間も増え、ワシの大好きなSF小説というものが再びヒットし始めるかもしれない。
コンテンツの流行は時勢が作っているという訳なのである。
だから、政治家よ。起業家よ。
俺の為にキリキリ働いてくれたまえよ。
全く酷いオチだが、心からそう願ってやまない。
では、失敬。
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(自分はオーバーロードが好きだ)
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ちなみに「不景気には吸血鬼、好景気にはフランケンシュタインが流行する」みたいな話があるが、これを現在の日本の状況に当てはめると、「不景気には実用書が、好景気にはSF小説が流行する」などと言ってもいいのかもしれない。
是非景気が好転していただきたいと思ってやまないこの頃である。