それでもキミは読者のことがわかっていない!
どうも。俺だ。景虎だ。
今回はこれまた至る所に火がつきそうなエントリについて色々と書いていこうと思っている。
ズバリ、インディ作家やブロガーやライターであるだろうキミが、読者のことをちっとも理解していないという事についてである。
言っておくが、「俺が読者のことを考えていないと思うか?」だの「馬鹿にしているのか?」「見下しているのか?」だの「読者のことはしっかりと理解している」だのと激昂しても無駄である。キミはこれっぽっちも理解してなどいない。
そう、キミはこれっぽっちも読者についてわかっていないと俺は断言できるのである。
そして、これを書いている俺自身も何を隠そうその「読者を理解していない」「読者をわかっていない」ダメダメ作者の一人なのである。
悲しいけれどそれは事実である。
俺もキミも読者をわかっていない。
これをまずは怒らずに事実として受け入れなくてはいけないのだ。
そう、わかっているならとっくの昔に売れっ子作家や、アルファブロガー、大手同人サークルになっているはずだからである。
そうなれないのはひとえに運がないか、読者がどんな人物で何を食べ、何を好み、どういった行動をし、休日はどのように過ごし、どんな性癖で、どんな思想を持っていて、何を求め、何を探しているのかをハッキリと全部把握していないからなのである。
そう、それを理解した上で、読者が求めていないものを提供できるようになっていないからである。
それが出来なければ真に読者を理解しているとは言い難いのである。
求めてないものを与えられる人こそが真の理解者である
まずは、若干わかりにくそうな「求めていないものを与える」という事について説明していきたいと思う。
「求めていないものなら読者はいらないんじゃないの?」とキミは思ったかもしれないが、それは違う。なぜなら、読者は「自分が本当にほしいと思っているものを理解していないから」である。
人が求めているものを与えることは、実のところそれほど難しいことではない。おそらくキミもこの程度であれば出来ているだろう。当然俺もこのレベルで止まっている。読者を理解している。わかっていると勘違いしている人の多くはここで止まっているのである。
「なになにをしてほしい」と言われたり、「なになにが読みたいなぁ」という人の意見をそのまま受け入れて、そのまま実行するだけなら「欲しいというものをそのまま与える行為」であり、理解していなくても容易い。
しかし、人が、つまり読者が求めているものを与えるだけでは「へぇ、面白いね」「へぇ、役に立つね」「へぇ、なるほどね」程度の反応しか返ってこないだろう。
読者が求めていないけれど、本当に必要なものを提供できるという人であれば、「先生、一生ついていきます!」レベルの反応が返ってくるのだろうと思うが、俺はこれが出来た試しがないし、おそらくキミだって出来ていないだろう。
悲しいけれど、それが本当に出来るようになるまでは、真に読者を理解しているとは言えないのである。
当然、その真なる理解のために何をやっていけばいいのかは、俺も知らない。
知っていたらとっくの昔に、売れっ子作家やアルファブロガーや大手同人サークルになっているだろう。
だからこそ、本来であれば俺から教えられることはたったの一つもないはずなのだ……。
ただ、理解しようとする努力は無駄ではない
しかし、だからと言って諦めてしまうのもなんだか悲しすぎる話である。
おそらくキミも俺も読者を本当に理解して、求めていないけれど人生に必要なものを提供できるようになるまでにはまだまだ時間がかかるのだろう。
しかし、それを諦めたくないという気持ちも当然あることだろう。
だからこそ理解する努力をやめてしまってはいけないわけである。
そこで、今回は一応、俺が俺なりに読者を理解しようと思ってやっている無駄かもしれない努力についても書いていこうと思っている。
いや、当然俺は売れっ子でもなければ、有名な人でも、多くのファンを抱えている訳でもないから、これが正しいのかどうかは全くもって保証できないのだけれど、少しでも、何かのきっかけをつかむ助けになればいいなとは思う。
本当に何が正しいやり方なのかは、試行錯誤して手探りしていくしかないのだろうが……まぁ、売れっ子作家になるまでは何が正解なのかは、俺にもキミにも実際問題わからないのだろう。
まずは自分の魅力やスペックについて書き出す
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という諺があるが、まずは読者を知る前に、自分についてしっかりと把握しておかなければならないだろう。
これがとてつもなく難しい作業なのだが、これが出来ているか出来ていないかで、結果は大きく変わってくるので是非やっていただきたいと思っている。
なぜなら自分というものは案外知ってるようで、実はわかっていなかったりすることが往々にしてあるのである。主に人間としての自分については詳しく知っているつもりであっても、物としての自分についてはっきりと把握している人はなかなかいないのではないだろうか?
だから、まずは四の五の言わずに自分について一心不乱で書き出してみよう。
ノートでもテキストファイルでもいい。自分に関することをひたすら書いていく。
俺の場合はこんな感じだ。(長いので大分割愛した)
天王丸景虎。男性。現在26歳。社会にほとんど出ることなく大人になったライター。三流大学を卒業できずに中退し、今もまだ同じような意志薄弱さを持っている。学がなく、趣味と好奇心に生きる男。自分が興味を持てないこと以外はとことん出来ない男。ただし、興味を持ったこと、良いと思った物にはとことん熱い。良くも悪くも幼さが残る人物。三四郎的な。空気が読めない人物。人の心をよくわかっておらず、よく人を傷つける。またともかく落ち着きがない。おそらくADHDだろう。ライティングの他にも画像編集加工技術、動画編集技術などが若干ある。音楽は趣味程度。
本を愛している。好きなジャンルはSF、ライトノベル、ファンタジーだが、小学生低学年から中学一年生までは純文学に傾倒していた。なぜか、ミステリや探偵ものを書きたがる傾向があるが、ミステリ小説はあまり読まない。海外ドラマで仕入れた知識を使いたがっているのだろう。
ともかく常識がない。非常識な人間。厳しい親に対する反抗からか、望んで非常識へと走りまくっている感じがする。ただ、基本的には正義感であり、間違ったことを本質的に好む人間ではない。
愛に飢えている。お金や地位や名誉といった物ではなく、ともかく愛を求めて動いている人間。愛すること、愛されることに対して執着するようになったのは、幼少期に「親から勧められたことを立派にやり遂げても素直に褒められることがなかったから」である。
このように支離滅裂でも良いからとにかくブレストだと思ってどんどんと自分について書き出していこう。最初は人間として自分を見て書き出していくのでかまわない。大体一万文字ほど、書き出してみたところで、はき出された自分データを元にして、物としての自分を考えていけばいいのである。
物としての自分を冷徹な目で見据える
次にやるべきことはそうした自分の集積場の中から、自分が物としてなんであるのか、どういった用途に使うことが出来るのかということについて考えていこう。
人を物扱いするというのはあまりにも、非道徳的だと思う人もいるかもしれないが、俺は少なくとも人間よりも道具の方が優れているじゃないかと思っていたりするのである。
ハサミは長さを測ったりしないし、物差しは紙を切るのに使われたりしないからである。しっかりと用途が定まっていれば、最大限に力を発揮できるのにもかかわらず、人間はそうではないことが多い。端から見ると、どう考えてもブックスタンドにしか見えないのだが、タマネギを切るために使われていたりしたら本当に切なすぎるだろう。
実に涙が止まらなくなりそうな話である。
さて、冗談はこの程度にして実際に物としての自分を分析していこう。
たとえば俺は
- 本やコンテンツを愛する人に熱いレビューを提供できる。
- 非常識な視点から見た考え方について語ることができる。
- ビーンを見るような楽しさがある。
- ダメな人間としての魅力がある。
- まじめにふまじめなコンテンツを作れる。
- ライトノベル寄りのSF小説が書ける。
- 愛のある行動がとれる。読者を極限まで愛することができる。
- 低学歴だから文章が鼻につかない。わかりやすい。
こんな風に書き出していった。無論これ以外にもあるわけだが、長いので割愛した。そう、なんとか自分が道具として通用しそうな部分について抜き出していくのである。
肝心なのは、自分やれることの範囲で、他人が道具として使いたいと思っていることは何だろうかということなのである。
もちろんそれは、物としての自分に利用者がいるかどうか想像していくということでもある。
次に想定する読者について詳細に書き出してみる
さて、ここまで出来たら実際にどのような人が自分を道具として、またコンテンツとして、はたまた作者として使ってもらえるのかを考えてみる段階に入る。
具体的には先ほどのデータを元に生まれるであろう読者について、色々とモデルデータを作っていくということである。一応俺が作った読者のモデルデータについても一部公開していくとしよう。
景虎日記の読者「中山晴子」34歳のプロフィール
女性、34歳、現在は主婦。幼少期は厳しい親の元で育ち、それ故に勉強はあまり好きではないもののそこそこは出来る人物。大学を卒業後、旅行代理店にて勤務。その後社内の上司に当たる人物と結婚し主婦となる。子供はまだいない。景虎日記と出会ったのは「電子書籍をわかっていない」の記事がきっかけ。晴子は読書家ではあるが、海外によく行くことがある彼女にとって、紙の本は持ち運びに不便だという理由からか、電子書籍をメインに利用している。
特にAmazonをよく利用しており、アマゾンプライムを契約している。家事をしながらアマゾンのプライムビデオを見ていたりする。景虎日記を読んでいるのはそうした「日々の生活を楽しくするためのコンテンツ」を見つけるためであったりする。
また、景虎自体のファンでもあり、彼自身のいびつでありながらどこか愛着の持てる文章や人柄に対して、良い印象を持っていたりする。景虎日記を見るのは主におやつの時間の15時。部屋に掃除機をかけた後に、おやつをかじりながら優雅に読んでいる。紅茶よりコーヒー派。ペーパードリップ。フレンチプレスのコーヒーメーカーをオススメしてみると喜ぶかもしれない。
景虎日記の読者「早川新一」28歳のプロフィール
男性、28歳、現在はIT企業で働いているサラリーマンである。子供の頃に星新一にであったことがきっかけでSF小説を読み始め、日本のSF小説や海外のSF小説を熱狂的に愛するようになった。勉強に関しては興味のわくことしか出来ず、ネットリテラシーは高い物の、大学はそこそこの大学に入学。おそらく三大SF研究会の一つがある東洋大学だと思われる。大学を卒業後はプログラマーとして働いており、今現在は独身。
ガシェットオタクであり、お金はそこそこあることから、Kindle端末とAndroidタブレットとiPadを持っている。「きんどるどうでしょう」をよく見ている人物で、景虎日記には俺がきんどうにて書いた「伊藤計劃レビュー」経由で来た。
SFを熱狂的に愛するが故に、にわかSF者である景虎のことを「おいおいおい」とツッコミながら読んでいるが、SFを愛する熱い若者がいることに対してはおおむね好印象である。景虎日記を読むのは、仕事帰りの電車の中であり、時間的には20:30~21:00位。または、家に帰ってからネットサーフィンをする21:00~22:00の間。
テレビは見ず、休日は趣味の音楽制作やGithubなどで活動をしていることもある。
ちなみに藤井大洋先生のファンでもある。
こんな感じで最低20人は書きだそう
さて、いかがだっただろうか?
こんな感じで、失礼極まりないが、自分の頭の中にある読者像を、自分のデータから逆算して書き出していくのである。もちろん、モデルケースはなるべく多くあった方が良いので、最低でも20人くらいは書き出しておいた方がいいだろう。
無論これはあくまでも想像に過ぎないので、現実の読者像とはかけ離れていたりするが、少なくとも20人分書き出しておけば、10000人のうち1000人は「人生において関係のあるコンテンツ」だと思ってくれるだろう。
ただ、俺はあまり社会に出たことがないため、どうしても人がどのような生活を送っているのかという部分に関してディティールがぼやけていたりするのだが……。
うん、これはどうしようもない。
実際に読者に聞いてみる
そう、どうしようもなければ実際に読者がどういった人なのかをその当人に聞いてしまえばいいのである。俺の場合それはファンクラブによってだったりするわけだが、実際に面と向かってどんな人なのかを聞いてみるという行為で、より精度の高い読者モデルデータが手に入るわけである。
実際に、先ほども紹介した「晴子さん」のモデルデータだが若干間違っているところがあったことがわかったのである。それは「実際に海外在住で、見ている時間はこっちの時間では15時になるが時差がある」ということである。
15時にアクセスが多かったということから、読書好きな主婦に向けて書いていたものもいくつかあったのだが、大いに間違っていたのだった……。
そういったことから、人付き合いがへたくそな俺のような人はファンクラブを恥ずかしげもなく作って、実際に読者がどんな人なのかを把握してみるのいいのだと思う。
何かを書くときは必ず誰かの為に書く
さてと、ここまでのことが出来たら、あとはその想定した読者に向けてとにかく書いていくという段階に入っていく。
特にブログに関して言えば「ああ、これは俺には関係ないな」と思われた時点で負けだと思っているので、なるべく多くのモデル読者が有用な物を書いていくということにしている。
そして、読者が求めている物を提供するという初期段階をそろそろ越えられそうだと思ったのだとしたら、読者が求めていないが、必要とするであろうものについて書いていくという段階に入っていくと良いだろう。
俺はまだ実際問題読者がどんな人で、なにを求めているのかしっかりと把握していないから、そこまでやってしまうのは早計だと思っていたりするが、少しずつその段階に入っていけるように努力だけはしているつもりなのである。
読者の普遍的感情を探る
特にそうした「求めていないけれど必要な物」を受け入れて貰うためには、読者の普遍的感情を探るということも一つの助けになるのではないかと考えていたりする。
読者がどのように生きてきてどの様な価値観や感情を持っているのかという部分に関して少なからず知っていれば、様々な問いを投げたり、答えを提示したりすることが出来るようになるのだろう。
俺は当然この普遍的感情がまったくと言っていいほどわかっていないからこそ、今現在かなり迷走しているのだが、まぁ、試行錯誤をしながら、自分の読者達に共通する普遍的感情はなんなのかについて考えていこうと思っている。
俺があくまでも想像の範囲で書き出したのは以下のことである。
- 人生に物足りなさを感じている。
- 今現在の世界は間違っていると思っている。
- 誰もハメを外さないので面白くない。
- もっと刺激的な生き方に憧れている。
- 自分が面白いと思っている物を同じように面白いと言ってくれる熱い人がいない
- 愛に飢えている人を見ると放っておけない。
まぁ、なんだろうか。大分間違っているとは思うが、読者達がどのような価値観を共有しているのか想像してみるのも悪いことではなかろう。特に自分に関係のないと思われる物を読ませる、楽しませる為には、この感情の部分を深く読み解いていくことが必要不可欠なのではないかと思っているのである。
さて、今回はなにやら偉そうに「読者について」書いてきた訳だが、キミがご存じの通り、一番読者がわかっていないのはおそらく俺なのである。
そして、一番遠回りなやりかたをしているのも俺なのだろう。
当然、読者を全く理解しようとせずに、同じスタンスを延々と続けていくというのもある。自分から時代や読者に迎合するのではなく、読者や時代が迎合してくれるまで、同じ場所に弾丸を撃ちまくるという奴である。
雨垂れ石をも穿つという諺があるが、まさにそれである。
自分にしっかりとしたスタンスがあり、そのまま十年二十年と続けられるのであれば、その方が賢いのかもしれない。あのいけ好かないAKB48の秋元とかいう人もそう言っていたと思う。本当に秋元氏はいけ好かない奴であると俺は思うのだが、その言葉は真実だと思うのである。それが一番賢いやり方なのだとおもうのだが、俺には出来ないだろう。
そう、おあいにく様、俺は無茶苦茶馬鹿であるし、スタンスもブレブレで、本質的には作家やブロガーやライターになるべきでない人間なのである。
「読者の為にあろう」と考えていること以外は基本的にすべてブレブレなのである。
大槻ケンジ氏が歌っていたあの「軸がブレブレ人間」が俺なのである。
情けない。実に情けない。
王木先生やヘリベマルヲ氏のように自分のスタンスを貫いて続けていけたら、どれだけカッコいいことだろうか……。
そう思う日もある。
ブレずに自分のスタンスを貫けないのは、おそらく自分に自信がないからだろう。それはもう共振を引き起こしそうなほどブレブレブレブレしまくっているのである。
無様である。実に無様である。
だが、俺は一見無様に見えるやり方でも、決して諦めたりすることはない。結局のところそれが成功するかどうかは運次第だったりする訳だが、俺はキミの元へたどり着くために最善の一手と思えるものを、打たんでいいのに打ち続ける所存なのである。
失敗しても恥ずかしがらずに続けることこそが重要だと思っているのである。
そう、ブレてなんぼの商売である。
ブレにブレてブレまくる。
キミにその振動が伝わるまでは絶対にやめない。
少なくとも息絶えるその時までは。
では、失敬。